1943年の本作は1938年の『鶴八鶴次郎』と同じ芸道ものの映画だが、作風はそれなりに変化していて興味深い。『鶴八鶴次郎』は目まぐるしいほどの細かいカット割りが印象的だったが、本作ではそれが抑制され、>>続きを読む
冒頭からめっちゃ細かいカット割りに面食らったが、唐突にカメラが客席をぐるっと見回して舞台に向きゆっくり下がってゆくカメラワークが為されて、ここでも面食らった。全体として切り返し等も含めてカット割りが多>>続きを読む
前作と比べると航空機でのシーンで「何が起きているか」は分かりやすくなったが、航空機が、車やバイクと比較して、映画の被写体として面白みに欠けるという認識は覆されなかった。それは画としての面白みだけではな>>続きを読む
航空機というのは映画の被写体として面白くないな、と思いはしたものの(車やバイクの方が遥かに活き活きとしている)、それ以外の部分でのトニー・スコットの演出を味わうだけでも終始楽しく観られた。ロッカールー>>続きを読む
パーティ中の地下室にて、ウォルト・タオ・ユアの三者とその視線を交互に見せていき、最後にユアがウォルトに近づき挨拶をする、まさしく映画的な一連のシークエンスに感動した。
冒頭から大人数の揉み合いが始まりどうなることかと観ていると、駅で桜町弘子(喜美奴)がスッと登場した瞬間に一気に引き締まる。そこから喜美奴が辰の人力車に乗ってから、2人が結婚を認められるに至るまでのスピ>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
脚本と役者の演出が苦手だった。彼らはただ闇雲に叫び続けさせられるだけ。画作りへのこだわりや効果的な反復を企んでいることは感じられるが、現れる登場人物がそこに適切な情感を湛えることには一切寄与しないし>>続きを読む