渥美マリの台詞回しを聞いてると、『赤い嵐』の能勢慶子を思い出した。
調べると、監督に増村保造の名が!
そうか、やっぱり大映ドラマのルーツはこの辺にあったんだ。
この時期の増村作品、若尾文子と組んで>>続きを読む
タイトルは最高殊勲選手(1963年にMVPに改称)のもじりだろう。冒頭の結婚式の仲人の祝辞もこんなだ。「同じ家の、同じ兄弟同士のダブルプレー結婚だということであります」
いかに野球が庶民の娯楽になっ>>続きを読む
これは王道のアイドル映画だ。
しかしと言うか、だからと言うか、主人公は精神的に成長を遂げ、自立してゆく。
ノースリーブの若尾文子は現代でもアイドルとしてトップを獲れる。
モノクロの画面にモダニスト市川崑のカットが映える。
多くの女にもてる男が仕事も妻も失った後、とたんに色褪せて見える。
このストーリーを書いた市川崑夫人、和田夏十の醒めた視線が面白くも恐ろしい。
戦時中の村社会における、ある女とその夫の戦い。
こんな時代でなければ、とも思うが、現代でも日本人の基本的な気質はそれほど変わっていないことに思い至り嘆息。
若尾文子につきる。
以下、孫引きになるが、昔、芸者置屋をやっていた老人の話。
「あの若尾文子ってえ女優みたいな女がね、一人いてごらんよ、芸者置屋は蔵が建つよ。客筋が集まる妓(こ)ってえのは、ああいう綺>>続きを読む
なるほど難解だ。その理由はフェリーニに関する十分な知識を持ち合わせていないこともあるだろう。
しかし、「映画は、何も知らずに観ても面白い。でも、知ってから観ると100倍面白い。観てから知っても100倍>>続きを読む
お豊の死の報せに衝撃的を受けたか、行き合う者は全て斬る!とでもいうように、修羅の道を歩む龍之介。
暴風雨の中ついに出会った龍之介と兵馬だが…。
円環構造をなすように最後の舞台は大菩薩岳峠に戻る。
し>>続きを読む
龍之介は自らの手に掛けた妻・お浜に瓜二つのお豊に出会う。
そのお豊に執心する男、前作の新撰組に引き続き登場する実在の集団天誅組、そして龍之介を兄の敵と追い続ける宇津木兵馬。
これらが入り乱れる地獄巡り>>続きを読む
柴田錬三郎の眠狂四郎は、「大菩薩岳峠」(大佛次郎)の机龍之介を元に造形したと言われる。
眠狂四郎と机龍之介。両方を演じた市川雷蔵。風貌はほとんど同じで、必殺技(円月殺法と音無しの構え)もどこか似ている>>続きを読む
ガイドブック片手にロックを聞き始めた頃、エルトン・ジョンは興味の対象外だった。余りにも英国的過ぎるメロディ、自分で作詞をしない、何より致命的だったのが、カッコ悪い。ハゲでデブで、おまけに変な衣装を着る>>続きを読む
"6人の若者が心霊スポットに行き、動画を生中継する"
いわゆるJホラーなら、ほぼ駄作決定だ。
しかし、これはなかなか の出来。幽霊の描写が新鮮である。
不用意に怪異に近づいた者が、 おもむろにその口>>続きを読む
一応ホームドラマだろう。
三女の高峰秀子には、母と姉二人、兄一人の家族がいる。
この家族、主人公の言葉を借りれば、まぁだらしない。姉二人の夫も、見事にだらしない。
このだらしない家族が悪い奴らを引き>>続きを読む
シリーズ第八作 霞小次郎編
時は、戦国時代まで遡る。信長どころか、信玄まで生きている!
これまでの石川五右衛門、霧隠才蔵が物語当初からエース級の忍者であったのに対し、今回の霞小次郎はビギナー。よって修>>続きを読む
シリーズ第七作 霧隠才蔵編第四編
シリーズ第五作で生き延びた筈の真田幸村が大坂夏の陣で死亡するパラレルワールド(というかこちらが正史)
今作において家康は風摩第十郎(田村高廣:ピースの綾部似)率いる風>>続きを読む
忍びの者シリーズ第六作霧隠才蔵編第三篇
島原の乱直後から慶安の変まで。
才蔵編とは言いながら、活躍するのは子の才助。
張孔堂・由比正雪、知恵伊豆こと松平伊豆守、紀伊大納言・徳川頼信と山風ファンにはお馴>>続きを読む
シリーズ第五作 霧隠才蔵編第二編
話は前作からの続きとなる。つまり、真田幸村が夏の陣を逃げ延びたら、というIFの物語。
池広一夫の作品の特徴は時々西部劇タッチが入るということだが、今回の種子島のシーン>>続きを読む
シリーズ第四作 霧隠才蔵編 第一編
時代は大坂・冬の陣から夏の陣の頃、主人公は霧隠才蔵となる。才蔵は真田十勇士の一人であるため、前作まで敵対していた豊臣方を今度は助ける側であるのがおかしい。
調べて初>>続きを読む
シリーズ第三作。石川五右衛門編・後編。
すっかり復讐鬼の貫禄が付いた、雷蔵・五右衛門。
黄門様のイメージが強い東野英次郎は、ここでは憎々しい秀吉を好演している。
三隅研次監督・勝新主演のブラックコメディ。
本人も愉快な人であったというし、勝新はもっとコメディ作品に出演しても良かったと思うが、演技や剣戟の方にこだわりがあったのだろうなぁ。
伊藤雄之助、藤村有広は>>続きを読む
日本は10年遅れてアメリカの後追いをしているという話をどこかで読んだが、そういう意味では、2020年の日本で今観られるべき作品。学生ローンなんて今まさに問題になっているしね。
しかし、作中のマイケル>>続きを読む
若い頃に観てたら、トレンチコートとソフトの中折れ帽を買ってたかもしれないな。しかし、今観るとアラン・ドロンのあまりの決め決めぶりには失笑してしまう。
作品自体もクサしてやろうと思ったが、実は結構良い。>>続きを読む
座頭市シリーズはこれまでのところ、シリーズ第一作がいちばんのお気に入りであった。
そして今作。
意気投合した、あるいは何か自分と通ずるものを感じた相手と、因縁により戦うことになる構成は第一作と似て>>続きを読む
ジャンルというものに囚われるのは馬鹿馬鹿しい。しかし、物語に安定性が出るのも確かだ。ジャンルという型の中で、どれだけ魅せるものができるか、あるいはそこから逸脱できるのか。
こんなことをくどくど書くの>>続きを読む
ゾクゾクしながら観た。
遺産争いの現場は闘いの場である。知力、精神力を傾け、時には権謀術数を用い、己れの全存在を掛けて闘う、闘いの場である。その闘技場に参戦するのが、
京マチ子、鳳八千代、高田美和>>続きを読む
黒澤は大映でも黒澤であったが、小津はいつもの松竹の小津とは、かなり趣が異なる。
一つには、舞台がいつもの東京あるいはその近郊ではなく、ひなびた小島ということもあろうが、主な理由は主要キャストの違いであ>>続きを読む
ジュリエッタ・マシーナ。なんと不思議な女優だろう。ある瞬間には無垢な少女に見え、別の瞬間には全てを悟った老女に見える。夫のフェリーニはこの作品を妻のために作ったというが、なるほどジェルソミーナには人を>>続きを読む
角川映画における山田風太郎シリーズ第二作。
一作目の『魔界転生』が良かっただけにどうしても見劣りする。しかし、敵方の妖術僧たち(佐藤蛾次郎、ストロング金剛、福本清三ら)の薄気味悪さ、滑稽みは、風太郎忍>>続きを読む
あかんでしょ、あの人は!
途中までは字幕でも追いきれないような小ネタも楽しみながら、"良く出来た映画だなぁ、さすがダニー・ボイル"くらいの感想だったが、あの人の登場で感情が決壊。ビートルズを聴いてき>>続きを読む
シリーズ第二作。石川五右衛門編・中編。
白土三平が個人的ブームの頃に観たシリーズ第一作には肩透かしを覚えた記憶がある。まぁ考えてみりゃ、実写映画が漫画のスピード感に敵うはずもなく、要はこちらの見方が間>>続きを読む
シリーズ第五作。
前作終盤よりソ連の侵攻も始まり、戦況はますます過酷に。
本作の注目はヒロインの安田道代、ではなく、再登場の成田三樹夫。今作においても、強烈な存在感を放っている。
そして、有田の見せる>>続きを読む
シリーズ第四作。
これまでで最も過酷な状況。それもその筈、監獄である。ゲストの田中邦衛が哀しい。ヒロインは小川真由美だが、大宮はやっぱり上等兵殿を取るのね。
シリーズ第三作。
有田、大宮に段々感化されていったが、本作で遂に売春宿のオヤジになる。しかし、経営は健全(ってのもおかしいか)。
ヒロインは山田五十鈴の娘、嵯峨三智子。
シリーズ第二作。
須賀不二夫、たいていセコい、小狡い悪役なのだがなんか憎めない。
ヒロインは後の大島渚夫人、小山明子。
『沈黙』と同じく遠藤周作の小説を原作とした作品。
日本映画には珍しく、戦時中の日本の加害責任を描いている(戦場そのもではないが)だけではなく、死すべき運命の者には何をしても許されるか、という生命倫理を>>続きを読む