左頬にべったりとついた青痣が、かつてまるで琵琶湖のようだと同窓生から嘲られ、大人となったいまでも琵琶湖という語にトラウマをもつ女性。この人物をショートヘアでほっそりとした首筋を覗かせる松井玲奈が演じて>>続きを読む
おじさんにときめく若い女。中年男性との逢瀬の数々がスナップされていくのかと思いきや、結局行き着くのは同年輩の男の子であって、それでいて中年男性の幻想を増長させるようにもなっていてタチが悪い。いまロマン>>続きを読む
「誰かの花」という題はいい。団地のバルコニーから植木鉢こと頭上に落下して命を奪った花。その事故現場に誰かが手向けた花。あのひとを偲んで贈る花。そのタイトルの多義性と裏腹に、気合の入りすぎたショットや、>>続きを読む
わたしにとっての偏愛映画。現実と夢の位相が逆転する。あの主人公の傷痍兵隊に倣って、まるでいままで観ていた映画が現実で、灯りのともった劇場が夢であるのではないかと錯覚させられる魔法。空を飛ぶという極上の>>続きを読む
「わたしのひいひいひいじいちゃんも馬の調教師で、マイブリッジの撮った連続写真の被写体、あの馬に乗っていた黒人ジョッキーでもあったのよ。つまりは映画は生まれたときから黒人が支えていたってわけ。知らなかっ>>続きを読む
喪服のような黒々としたスーツに身を包んだシイちゃんが、ささやかな仏壇から骨箱を奪い取り、裸足のまま二階のベランダから飛び降りて、河をわたっていく。親友の遺骨を抱えた逃避行。ロード・ムービーとしてはこの>>続きを読む
運動神経が鈍すぎる。成瀬の『驟雨』を観たばかりということもあって、あの少年と仔猫を除いては、画面に映る一切がもったりと緩慢な動きをしていて正視に堪えなかった。無邪気にロメールの真似っこをして『ほとりの>>続きを読む
成瀬らしさが凝縮された逸品。生活のひとつひとつの機微が短いショットの連続で軽やかに活写されていくことで、夫婦として過ごした時間の厚みが立ち上がってくる。湯呑に茶を注いで、割り箸を割って、立ち上がって、>>続きを読む
何百何千という人間が、何百何千という時間をかけてこの作品をつくったという事実に、いいようのない虚しさが胸を衝いた。その不運も逆から見れば幸運だったのかなあ。
かつての海岸線を示す川に架けられた橋に、「洲崎パラダイス」というネオンの文字が掲出された大きな門が聳え立つ。日夜その門を通っていくのは、遊郭で身を売る女たちであり、その女たちを銭で買う男たちであり、東>>続きを読む
俗世から隔絶された山の生活はどんなものか。いかにして山を下りるという決断はなされたのか。これって、この映画でいちばん大事なところじゃないのかなあ。なんだかなあ!
映画の最後のショットはほんとうに難しい。もうひとりの自分が父親として子どもと戯れる姿を見て、ベランダで静かに涙する場面で終わってもよかったし(『ペパーミント・キャンディー』)、宗教団体の壁に残る銃痕の>>続きを読む
よい気分はいかにして生まれうるか。隣の席に上野千鶴子が座っていた。ぜんぜん笑ってなかった。
そのむかし Cité Universitaire のノルウェー館に住んでいた友人を訪ねて、この映画に映っていたのとおなじ2階の端っこのテラスでパスタを食べて、ワインを飲んだ。そのときもだれかがギターを>>続きを読む
ひとは無意味に耐えられない。生命を容赦なく奪っていくペストの蔓延を前に、その突如として現れた災厄に意味を宛てがおうとする。この作品が呈示するペストと呼ばれる死病は吸血鬼によってもたらされたという物語に>>続きを読む
Wanda is wandering around and wondering if her wounded soul will be saved one day
いったい何を期待してわざわざフォードを観に行っているのかという感じだが、いかに著名な後期高齢者が男性的な映画ではないという読みを主張しようとも、わたしにはこの映画はかなり男性的かつ暴力的に見えてあまり>>続きを読む
砂漠の荒くれ者たちが徒党を組んで派手派手しい掠奪を仕掛けたりするよりも、偶然発見した水脈をもとに金策に走るほうがよほどアウトローで、現実みがあって、格好いい。土地の占有と町の興隆をめぐる考察。いつか「>>続きを読む
サム・ペキンパーがしばしば完璧主義者と評される所以がよくわかる。終盤に待ち受ける高低差のある砦で繰り広げられる血みどろの銃撃戦は、目まぐるしくカットが切り替わり、いまやペキンパーの作家印としてあまりに>>続きを読む
冒頭から軽妙なショットと言い回しの連続で、次第に多幸感のような情感が胸もとに溢れてくる。裁判ドラマの緊張の転覆を試みる歌や踊り。あの黒人たちの造詣は正当化はされうるか。