例えば、冒頭のカフェでのシーン。売春を目論む既婚男の背後には、大航海時代さながら、立派な帆船。未知の世界に旅立つ高揚と共に植え付けられる漠然とした不安。一方、そり立つ船首からは卑猥な印象も。
対照的に>>続きを読む
題材のずしんとくる印象とは裏腹に、巧みな色彩と光の切替が退屈させない。暗いトーンの画のあとに鮮やかなカラー。Anne Hathawayの登場もその一つ。Mark Ruffaloの不器用だが愚直なキャラ>>続きを読む
四年に一度、全米が参加する一大イベント。その合間の時期に、激戦州(スイングステート)で行われる、茶番。カラ元気な鼓舞とヒステリックな嘆き、クレイジーなリクエストが交差する、まさに茶番。
片田舎の町長選>>続きを読む
猫背で小太り、重い瞼。
盾だ。強い意志で、批判の銃弾に耐え、目標に向かって漸進していく盾。
守られ成功していく姉妹の物語では面白くないが、炙り出される英才教育とスポーツビジネスの闇がドラマの一つ。大坂>>続きを読む
そっと包んで餃子を湯に通すように、
キャンバスに筆を重ねていくように、
優しく丁寧に、10代半ばのあいまいな境界線を描く。子どもとおとな、友情と恋愛。聞こえてくる心の音色によって、行ったり来たり。
だ>>続きを読む
前回ラスベガスはまさに狂気の街。バンコクに舞台を移し、勿論危うさを備える大都会だが、異国情緒が不思議な優雅さと爽快さすら醸し出す。
その空気感と共に改めて気づくのは、これは馬鹿騒ぎの単なるコメディでは>>続きを読む
この撮影、さぞかし楽しかったろうな。
ありふれた日常にぶちかます欲と鬱憤、そして友情。
無関心。他人事。
弁護人が表す作品前半のスタンスは、そのまま21世紀の心情とシンクロする。
そんな事件が昔あったらしいね、軍事政権のあの時代。それゆえに尚更、凄惨な隠れた事態を知り、動揺して憤る。
旋>>続きを読む
翻訳するという作業を含めて、文学への愛が詰まった映像作品。
引き立てるのは地下の9人。
エンドロールの頃には其々に強く愛着を感じる。見事に。
「私は貧弱な真実より華麗な虚偽を愛する」、仏映画監督Roger Vadimの言葉らしい。
Mélanie Laurentの冷めた眼差しが徐々に血走っていく。Jean Dujardinの何かを企んでいそ>>続きを読む
ボーイズ。
ひとりになって、また集まり。
時間を一瞬で飛び越える。
人生の酸いも甘いもひっくるめて。
嫌な腐れ縁のあいつ。やっぱり仲間。嫌われるキャラクターを好演。
音がする。声が聴こえる。
少しずつ大きくなって。
物語が始まる。
足元のダンス。全身を映す必要はない。
聞こえないという美しさが世界を包む。
哀愁とコミカル。今日も屋根の下で。
国境の向こう側、メキシコという異国情緒に対する冒険心と憧憬。それに、過去へのノスタルジーと、年老いたが故の達観、次の世代への希望が交じり合う。
おそらく、C. Eastwoodが興行よりも本当に自分の>>続きを読む
とめどなく溢れる想い。秘めておくことは苦しさを伴い、打ち明けたところでその分の幸せが舞い込んでくるとは限らない。
自分勝手、と呼ぶのかもしれない。
でも結局この世はエゴの集まりだ。そこにたまたま居合わ>>続きを読む
Moi? Je ne suis pas infâme.
Je suis « une femme ».
音と映像で時に繋ぎ合わせ、時にバラバラにし、断絶し再現させ、1人の女の心情と取り巻く世界を映画>>続きを読む
クリスマス。目には見えないが超自然的な何かに温かく包まれる日。信じたい気持ちが強くなる日。
ロジックと正論、規律を掲げる父親。
支援に縋り、理不尽の因果を探る娘。
各々が必要としていたものを携えた>>続きを読む
鼻から口にかけて宿る幸せ。
逆に、目元に舞い込む哀しみと戸惑い。
顔を2つのパーツに分けて其々で表現する岸井ゆきのと、それを掬い上げる今泉監督。
この監督は現代日本に生きる若者を本当に良く観察してい>>続きを読む
くそったれ米国。
くそったれニグロ。
くそったれ高鳴る鼓動、止まぬグルーヴ。
くそったれイデオロギー。
随所に用意された壮絶なアクションシーン。繋ぎのストーリーは多少拙くとも、まさにカーチェイスのように駆け抜ける。
能面に畳、土下座、北方領土。和のテイストがカリブとラテンと響き合う。
幸福な時間が、慟哭と共に、突然静止するとき、人はどうするだろうか。
怒りに震え、絶望に立ち尽くし、戻らない日々を追い求める。想い出に彩られた古城にて代わる代わる押し寄せる様々な感情。
解放に向けたかの>>続きを読む
タイトルのとおり、テレビドラマの延長、程良い二時間ドラマ。これまでを一切観ていなくとも、奇怪な設定と現実世界を想起させる事件性、手の込んだアクションシーンに楽しまされる。
ドラマを観たことなく初見だった前作鑑賞時とは異なり、どんな大胆な仕掛けを用意しているのか胸高鳴りながら。
この三人組は主役であって、同時に犯人でもある。謎が明かされる前に見破ってやろうと意気込む高揚感>>続きを読む
最初から騙されることは分かっている。どう騙してくるか。どこからが仕掛けか。わざとらしい演技や奇妙な出逢いを疑いの目で観ながら、そもそも傾いていた世界そのものに飲み込まれていく。
モナコは最高の発見。
希望の光と、現実の闇。作品を通じてコントラストが丁寧に配置されており、清き物語を芸術に仕立てている。
呼応し合うのに近づくことを許されない社会。蔑まれた世界からようやくスポットライトを浴びたシンガーと>>続きを読む
他の福田作品に比べて、おふざけのみに走らず割とストーリーが通っているのは、ドラマ制作という視聴率の洗礼を受けているからか。
清野菜名が作品全体に与える落ち着きと華にも救われている。
この作品の主題が「“悪の正体”とは、“悪”とは何なのか」、「人間の本当の恐ろしさとは」であるならば、その答えは“彼らではなく、私たちだ。
日本車の広告が見下ろす街で、ギャング映画や西部劇に育てられた>>続きを読む
天才に潜む陰。華の都パリに潜むテロの脅威のように。
これは陽に溢れた福山雅治でなければもっと良くなっていた。一貫して嘘っぽい。
桜井ユキに救われた作品。
真摯な監督の、自身の幼少期と創作物に対する毅然としたこだわりを知る。
陽の光、火の光。
モノクロの世界に響く音、そして間。汚物、性器、剥製、そして死。忌されるもの含め、ありのまま描かれる若き記憶。
武道と暴力。
悲劇と喜劇。
時代の荒波に飲まれる家族の物語。掃除の水が>>続きを読む
戦争が忍び寄るある年のバカンス。持て余すこの身体を通じて世界と繋がる。
思春期のみならず、周りの異なる女性の姿を通じて、壮年期、老年期と、人生の流れを描き出す。彩りと光が美しい。
真剣佑の殺陣、山崎紘菜の凛とした眼力、敵役が多い鈴木伸之の好青年役のハマり感を機上で堪能。
覗き見る。
現実と妄想の曖昧な境界線上で。
周りの空気の流れとはまったく異なる動き。ボクシング試合中の愛撫にも似た。
サスペンスとロマンスを散りばめた純粋な空間美。
“オオカミ”を追い求め続けるも、
すり抜けて逃げて行く。
この3年間築き上げてきたものの意味を問う。
巧みな間の作り方。魔が入り込む。
スリルと呼応して高まる期待。裏切らない第二作。
無慈悲な世界>>続きを読む
いたって真面目。性癖とか異常とかの言葉で片付けられる異端ではなく。追い求めるものがそこに。
十二人、ひとりひとりを、歌い継がれる民謡と共に、真正面から。大人の目線で子どもたちを見ているうちに、自身の幼少期の記憶を呼び起こされる。
18年、思えばいと疾しこの年月。高峰秀子が見せる変化に息を呑>>続きを読む