橋の上で突然始まるセッションにヒップホップ魂を感じた。だからこそ、なぜ古いロックなのだろうかという疑問は常について回った。歌詞が聴き取れず困惑した。ロックは古びた。それは失われた平家が再び我々に受容さ>>続きを読む
まず冒頭の、飛行機から電柱を経由して海に至るロングショットで一気に作品世界へと誘われる。子供との触れ合いにおいては子どもと同じ目線に立つことが大切と言われるが、ただのダメ男であるフィリップがアリスとの>>続きを読む
切り返しやローアングルの固定カメラといった小津特有の文法に慣れず戸惑いはあったものの、田舎で暮らす親世代と都会で暮らす子供たちの間に流れる時間の違いが如実に感じられて、味わい深い映画だった。大切なもの>>続きを読む
近代的人物像の代表のようなケーンは、その華やかな生涯にもかかわらず、終始孤独だった。むしろ華やかさは、その孤独を覆い隠すためにこそあった。バラの蕾とは親からの愛情ではないか。それは近代という時代が忘れ>>続きを読む
ビジュアルが魅力的で大ぶりな演技が上手なリナはまさにサイレントのために生まれてきたような逸材で、だからこそトーキーの時代には取り残されてしまう。彼女を単なる悪役として消化するのはあまりに惜しい。その悲>>続きを読む
シャツの第三ボタンまで開けてるアラン・ドロンはえっちすぎた。海と街とのコントラストが鮮明で美しい映画。
私はこの映画について何か語る言葉を持たない。「とりあえず観てくれ」としか言えない歯痒さ。言語に落とし込んで整理、納得してしまうことを頭が拒む強烈な映画。
映画っぽくなくテレビシリーズの延長線上にあるようだった、と多くの人が仰られているが、私はむしろ、テレビシリーズの時点から、「間」のぜいたくな使い方やショットの構図が映画的ではなかったか、と思う。
池袋の新文芸坐にて、観客が爺さんばっかりだったことに日本の映画好きの未来を案じつつ。
寝不足の目を擦ってふらっと立ち寄ったので、喫茶店で哲学者?と議論する11幕で耐えきれず寝てしまった。ラストは衝撃だ>>続きを読む
1989年12月6日にモントリオール理工科大学で実際に発生した銃乱射事件を題材に取っている。観賞後に事件について調べてみると、加害者の男は父親から虐待を受けていて、女性蔑視の考え方を植え付けられていた>>続きを読む
別名『劇場版 ばかうけ』
過去と現在は共に現在でしかないという。ベルクソンの記憶の円錐形。この話ではそこに未来も加わることになる。結局すべては現在だ。すべては運命で決まっているとしても、それでも「選>>続きを読む
アクションがカッコよかった。主人公が寡黙なのもいい。シリーズ作品見たくなった
こういう、生命力に満ち溢れた映画だけ観て過ごしたい……形而上学的な会話には全くついていけなかったが、ドライブ感とストーリーのぶっ飛び方、新鮮かつ強烈な映像の連続、が大好き。
愛の終わりは突然。男には分からない些細なことが女性にとってはとても重大な、それも軽蔑に値するようなことであるということがあるのかな。
ゼメキスの映画は苦手だ。これの他にはBTF3部作とフォレスト・ガンプくらいしか観ていないが、何というか、屈託がない。胸糞悪くなるような展開があっても(無かった訳でもないが、もうちょっと引っ張っても)い>>続きを読む
このレビューはネタバレを含みます
深夜に観るべきではなかった……
現実と幻想の区別(あるいは人生の一貫した時間軸)が揺らぐその後の展開よりも、食卓を囲むシーンでの、無駄にテンションが高く会話が空回りし続ける母親と何となく同調する父親、>>続きを読む