いささかギミックとも言えるような水中からのカメラかと思われる夜景の非日常的な変容。
都心の空に唐突に現れ、しかし誰も存在に気付いていない飛行船。
出勤もしくは通学中のサラリーマンや学生の皆が皆スマ>>続きを読む
新文芸坐シネマテーク
エロである。あっけらかんと乳房を露出するマリシュカのシーンよりもむしろ「プレゼントがある。探して」と言って互いに体を触らせるところが非常に淫靡にエロい。次はどこを触るのかという>>続きを読む
微妙との声も聞くアサイヤスの今作だが相当な傑作と思う。面白がれるかの個人差はでかい、観る人を選ぶ。単なるハッタリと思う人は思うだろうが、俺はそうは思わない。以下、まとめるのが難儀ゆえランダムにキーター>>続きを読む
ジェリー・ルイス初見、ベタだけど結構おもろいやんけ。単に荒唐無稽な話ってわけでもなく最後に教訓めいたオチがつくところは(押し付けがましくはない)なかなかほろ苦くも観る人を前向きにさせます。もっとも個人>>続きを読む
新文芸坐シネマテーク
冒頭、工場をロングで捉えたカメラの右方向へのパンニングから映画は始まり、すぐにカメラはスクラップと化した鉄屑が転がる無機的な野原を空撮で捉え、その背後にはこちらも無機的な電子的>>続きを読む
ゴダールのジガ・ヴェルトフ集団作品を観ると言うまでもなく普通の意味では申し分なくつまんねえが、そのつまんなさ自体はつまんなくねえ感じ。村上ショージのすべり芸みたいなものか。音響と映像を合わないままに無>>続きを読む
2011年に44歳で亡くなったエカテリーナ・ゴルベワのことを書こう。と言っても以前に観た作品はカラックスの『ポーラX』だけだが、あの映画でのゴルベワは、全く理由も分からずに穿たれた、どこまで続くのかま>>続きを読む
これは過去のイタリア映画祭で既に上映されていて、俺はそれを観ている。改めて調べたら2007年だからちょうど10年前だった。やりたい放題、悪ふざけギリギリの怪作だった記憶はあるが細部は忘却。未だに一般上>>続きを読む
ベロッキオがワークショップの学生たちと撮影した18分の短編だが、これ全編殺気立っていて往年のベロッキオが蘇ったかのようだ。それにしてもなぜ『道化師』を題材に選んだのか。
このオペラでは旅回り一座の団>>続きを読む
2000年以降のベロッキオ作品の中では(と言うかそれ以前のものは『肉体の悪魔』と『ポケットの中の握り拳』以外観るのが非常に困難だから分からんけど)誤解を恐れずに書けばかなり「分かり易い」。そしてノスタ>>続きを読む
「誠一さん…誠一…誠ちゃん…」と映画の冒頭で永子(河井青葉)はまさにその当日が結婚式にもかかわらず前日に大学時代の友人と遅くまで飲んでいてなかなか起きない婚約者(杉山彦々)にためらいがちにそう呼びかけ>>続きを読む
元来は『ハッピーアワー』のクラウドファンディング特典として制作された短編とのことだが、とことん金を掛けていないシンプルな38分が何と濃密なことか。
AVのモザイク付けの仕事をしている雄三はつまり「本>>続きを読む
睡眠不足と右隣にいた終始やたらとガサガサ落ち着きなく動きまくるクソオヤジのせいでかなり集中力を欠いた、ということはあるやも知らぬがあまり入り込めずに残念でした。惹かれたのは冒頭と末尾での無人の教室を写>>続きを読む
本作で冒頭から明らかなのは、ローマ(あるいはミラノ)とカターニャ(シチリア)という南北の対比構造、南の持つ抑圧的な家父長制的ヒロイズム(男根崇拝主義)、マチズモ礼賛、北に対する愛憎入り混じったアンビバ>>続きを読む
これほどの傑作とは。『ハッピーアワー』もそうだが、どうやら濱口竜介作品は俺のツボである(現段階で観たのはまだ2本だけど)。そしてまたこれほど観る人の生に入り込んで来る作品もそうはない。皮膚に直接突き刺>>続きを読む
「No」Home Movie、だからホームムーヴィーではない、といきなり宣言している。しかしアケルマンがやっていることはひたすらに母親の相貌をカメラに収め続けることであり、その意味で非常に個人的な作品>>続きを読む
ジャン=フランソワ・ステヴナンと聞いて、ヌーヴェルヴァーグに多少なりとも興味がある人ならばリヴェットの『北の橋』のラストでパスカル・オジェといきなり空手を始める妙なおっさん、あるいはトリュフォー『思春>>続きを読む
ゴダール的強弁(言いがかりとも言う)&牽強付会の一典型(『映画史』もそうですよね)。映画として面白いとか面白くないとか、であーだこーだ言うもんでもない。興味深い、とでも言っておく。その辺込みでの点数。>>続きを読む
イサベル・ユペール演じるナタリーが夫のハインツから他に好きな人が出来たので一緒に暮らす、と余りに唐突に別れを切り出された後。そして駄々っ子のように無理を言ったり無茶をしていつもナタリーを困らせる母親が>>続きを読む
ハッタリをハッタリとして楽しめばよいってことなんだろうか。伏線らしきものはまるで回収されずに投げ出されたままで(もしくは整合性がよく分からん)、そこになんらかの解釈を施したりメッセージ性を読み取ったり>>続きを読む
パク・チャヌク初見。他作品もおしなべて「こんな感じ」の人、という理解でよろしいんでしょうか? こういうキッチュさはちょっと苦手。三部構成の見せ方は面白い。水槽のタコはマンディアルグの『城の中のイギリス>>続きを読む
中平康はモダンと形容されることもあるようだが実はポストモダンである。表現したい内容と外面のスタイルが乖離しているという点にその理由が求められるだろうが(あるいは内容というもの自体が存在しない)、『狂っ>>続きを読む
訳あって再見。改めて観ると、城での宴のシーンに代表されるような様式化された役者の演技が題材と相まって非常な抽象性を感じさせる。生々しさが全くない。15世紀のフランスの話でありながらそれを一般化する意志>>続きを読む
新文芸坐シネマテーク。
文句なしに面白いのは、前半での『十二夜』に基づく台詞が徐々に切り詰められながら執拗に反復されるシーン。女優2人が反復の度に顔が上気して行く中でドアのブザーやノック、電話のベル>>続きを読む
大昔に上野昴志の映画ゼミで遠い席からVHSで観た(と言えるのかどうか)非常におぼろげな記憶(むろん188分版だ)。改めてこれを観て、俺は軽く混乱している。
何かが隠されているのか。違う。語りが大幅>>続きを読む
ナンセンスというかコメディ(パロディ)時代劇ってことで同じ大映の『まらそん侍』を思い出すが、これもなかなかの佳作(江戸時代なのに登場人物が「アイラブユー」とか「パスする」とか当たり前に言うのには笑った>>続きを読む
俺が高1の時には27歳の女性なんぞ遥かに年上で憧れ、の対象ですらなかったようなおぼろげな感覚がある。しかし歳を食っていかにもすれっからしとなった今になって本作を観ると、実際の我が身の実感として本当にあ>>続きを読む
ほとんど語らないことが語りすぎるよりも雄弁足りうることを『うつせみ』は証明してみせる。傑作だ。
バイクでチラシを配る男・テソクと夫に虐げられる女・ソナ。テソクは無人の家に侵入して風呂につかり、食事を>>続きを読む
「より美味しくできる具材は揃っているのに、調理が微妙なためにいささかの残念感が漂っている」のは否定し難い気がするんだが、どうでしょうか…?
冒頭でいきなりココネが見る夢の中の世界がかなり長々と描かれ>>続きを読む
映画が始まってすぐのショットでは、裁判で被告席にいるアリシア(イングリッド・バーグマン)の父親。国家反逆罪で20年の懲役を食らうが、映画はこの父親の背中を扉越しにロングショットで映すのみ(その後は全く>>続きを読む
新文芸坐シネマテーク。
これは言ってみれば「構造と関係と変容の映画」だと思った。登場人物らの固有の属性やら性格は最重要ではなくて(と言うか「空虚」なんです)、シェイクスピアの戯曲『恋の骨折り損』をベ>>続きを読む
最後まで観ると不思議なタイトルの意味が分かって「ああ、いいねぇ」となるんだけど、まあ全体としちゃ俺的にはちょっと薄味と言いますか。でも嫌いには絶対になれない作品なんですよね。てか好きです。とにかく黒木>>続きを読む
弛緩しているようで濃密な空気感の心地よさはどう形容すべきか。142分が絶対に必要なのだ。山下(=次郎)とその彼女の青葉がほとんど黙ったままでそれぞれたった1枚の食パンを食べるシーンのいわく言い難いエモ>>続きを読む
疑いなき傑作。小川紳介や佐藤真の最良の作品に迫るほどと思う。小森はるかは今後偉大なドキュメンタリー作家になるんじゃないか。
陸前高田でタネ屋を営んでいる快活なオヤジである佐藤さんの被写体としての魅力>>続きを読む
良い映画だが、気になるのが小池栄子演じるいかにも保守反動な教育ママ的な役どころと体育教師、そして病院の描かれ方。特に前二者が図式的で、それは非寛容の象徴として分かり易いと言えばそうなのだが、よりフラッ>>続きを読む
少量の魅力とかなりの違和感が同居した、何とも厄介な作品。外形はミュージカル映画の体を取ったミュージカル映画それ自体への考察、か。
本作、頭から往年の古典的な名画やミュージカルに対する監督の憧れやノス>>続きを読む