不吉な予感に満ちていた。最後、流れる川のショットにも、なぜか猛烈に不安になる。時の流れを止め、スクリーンを射抜くかのようにして我々に向けられる眼差しにも。
松本俊夫の『薔薇の葬列』に一瞬だけこの映画のポスターが登場する。
音楽の使い方が苦手だった。
知覚も行動も不安定なまま宙吊りにされて、不気味に揺曳する顔=仮面だけが雄弁に物語る。
全てがキマリ過ぎて鼻血出そうになる。
なぜか今まで観たことのなかったパゾリーニ、最高すぎる。フェリーニの『サテリコン』的世界に、羽仁進的(?)瑞々しさを湛えた感じ。「太陽が詰まった」ような映画だ。
濃い光に祝福された官能の森の奥深くでは、一瞬一瞬ごとに未知の何かが生成してゆき、その度に全体の表情が変わってゆく。こんな当たり前な自然的知覚すらも、奇跡と思わせてくれるようなアピチャッポンの魔法。
タ>>続きを読む
自分が調子の良い時は、周囲の人々に与える迷惑に無自覚なくせに、いざ自分が困り果て、悲しみに打ちひしがれていると、ふと、誰かが助けてくれる。絶望の一歩手前で不思議と救済の風が吹く。このクズ男が、自分のこ>>続きを読む
回転しながら殺されてゆく豚と、地平線から上昇してゆく牛と、よだれ垂らす羊がdope
真昼間、明るい部屋でバカにされる魔術師たちが可哀想すぎて見ていられなかった。映画館の暗闇が明るくなってしまったら、映画は死んでしまう。
『最後の人(Der Letzte Mann)』というタイトルと、あのエピローグから、ふとヴェーバーの言葉を思い出す。「「末人たち」》letzte Menschen《にとっては、次の言葉が真理となるので>>続きを読む
ブニュエル、フェリーニ、ゴダールが得意とするような、ブルジョワ達の気取ったパーティーがだんだんカオスと化す映画が大好きなので、この映画も例に漏れず大好物でした。
『何も変えてはならない』で音楽の制作は「しっかりと」で、映画の制作は「楽しんで」と言っていたが、映画編集中のストローブ=ユイレは1ミリも楽しそうじゃなかった。
字幕の光すら眩しく煩わしく感じられるほどの暗闇。音楽が生成してゆく喜びと、光が動き出す喜び。
ロシア革命から12年後のソ連の風景。ミミズのように蠕動する群衆、労働者、機械、カメラ、眼球。気持ち悪いほど美しく生き生きしている。
ヒロインが炎の行く手を見届けるところのモンタージュが好き。台風の日に観たので不穏さが増して良かった。
帝都物語の加藤保憲みたいなキャラの濃さ。under pressureばかり頭の中で流れてた
昼なのか夜なのか、吸血鬼なのか吸血鬼じゃないのか、生きているのか死んでいるのか、全て曖昧なままぼんやり微睡んで、棺桶からの死者の視点まで撮ってしまう。ある意味アピチャッポンよりも境界が溶けている。
飛行機に追われるシーン、突然の爆発が好き。アントニオーニの『砂丘』みたいで。
『家族ゲーム』といい『しとやかな獣』といい、団地で暮らす人々がだんだん狂っていく映画は傑作が多い。
目も綾な花々と太陽、その背後に明滅する死と狂気。このコントラストは、北野武の『ソナチネ』を観た時と同じような幻惑を誘う。
欲望、監視、国家、セックス。
若松孝二の描くテロリストはみな孤独だ。
当時は鮮烈だったのだろうが、今見るとダサいよ…
寺山修司せっかく出演しているのだから、もう少し喋ってほしかった
女を監禁して縄で縛り、カミソリで肌を切り裂いて鞭を打ち、男は幻影に苛まれながら母胎回帰を夢見るというただの変態映画なのに、どうしてここまで画面が美しいのだろう。
「なんでそんなに人を殺すの?」「なんでそんな目で見つめるの?」若松映画を前に、理由・動機を問いても答えは返ってこない。「映画は動機が分からない存在としてある時に、世の中に一番強いんですよ。」という大島>>続きを読む
カッコええ
静止画とナレーションで近未来のディストピアを表現する手法に、アピチャッポンの『ブンミおじさん』を想起せずにはいられなかった。
暴力、反インテリ、肉体自慢、劇的な死。やりたい事をのびのびやってる三島が微笑ましい。