浮浪者さんの映画レビュー・感想・評価 - 7ページ目

浮浪者

浮浪者

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冬物語(1992年製作の映画)

3.5

恩寵たらしめるための重力として生きているものたちよ。バイプレーヤーという脇侍。

あなたの顔の前に(2020年製作の映画)

3.5

天国すら、ありふれた風景となるほどに見つめ続けたら、底なしの笑い(超越的態度)しか催せなくなるのだろう。

死が恐怖を招くのではなく、生(他者からの記憶)そのものが恐怖でしかなかったという寸劇。

イントロダクション(2020年製作の映画)

3.4

どうでもよい抱擁にすらも愛は開示されてしまう。そしてタバコの煙とともに霧散していく。

わたしは最悪。(2021年製作の映画)

3.3

だれしもが己を低く見積もっていく。最悪といえるような比較対象はなく、ただただ単独性をもった愚かさが露呈するのみ。

ドンバス(2018年製作の映画)

3.5

現実は常に過ぎ去っていく、誰もそれを見据えて、掴むことができない。幻影としてしかあり続けられない、儚さの実体。過ぎ去ったものが現に、実る。その一瞬/瞬間を現在性として降臨させるのは至難の技だ。

歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡(2019年製作の映画)

3.2

BBCだなあ。発泡酒とじゃがりこ欲しなるなぁ。こんな作品で岩波ホールが終わってしまうのか…と思ったけど、むしろしっくりきつつある。

夏物語(1996年製作の映画)

3.4

唯一性のミューズを複数性のメディウムへと解体させるドン・キホーテよ。

デヴィッド・グラブス『レコードは風景をだいなしにする: ジョン・ケージと録音物たち』を思い起こす。

春のソナタ(1989年製作の映画)

3.5

想ってることを思うことも、思うことを伝えることも。伝わってきたことから想うことも。相補性と双対性の魔術。物自体としての首飾り。

ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン/ブリュッセル1080、コルメス3番街のジャンヌ・ディエルマン(1975年製作の映画)

3.7

動くことには音が連なってしまう。言葉を選ぶ前に体が音を伴ってしまう。生活に伏在した「環境音」を意欲的にレコーディングしていく。

動くものの内面は問わないこととするも、その音の軋み、揺らぎから「魂」が
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さらば夏の光(1968年製作の映画)

3.3

漂白されきった怠惰なる関係性が露出され続ける。あまりに無意味な時間系列。そこに生きることもまた稀有か。

1000年刻みの日時計 牧野村物語(1987年製作の映画)

3.6

土方巽、あとで彼と気がつくほどに常民と成り果てている。眼を奪われることは記憶の無化に恍惚することか。

道 -白磁の人-(2012年製作の映画)

3.3

白磁という名役者が映される、それだけでよいのだから。

悪魔の発明(1957年製作の映画)

3.4

ナイーブさに寄り添ったアニメーションほど退屈なものはない。

厳重に監視された列車(1966年製作の映画)

3.6

性の無能力を否定的に媒介させテロリストへ仕立て上げるスパイの過剰能力。

スイート・スイート・ビレッジ(1985年製作の映画)

3.5

バディムービーへのアイロニー。愛ゆえに、という偏屈な穿ち方。

クリーン・センター訪問記(1976年製作の映画)

3.4

自分の意見を他人を出汁にして伝えることの天才ではある、ことの露出性が最も高い作品と言える。

たぶん悪魔が(1977年製作の映画)

3.5

無言の背面と饒舌な正面に一発づつ。官能にたどり着くために地獄を迂回する必要性について。

湖のランスロ(1974年製作の映画)

3.5

バグバイプと弦音の無限連鎖。甲冑に付託された強くも脆い騎士道精神。

少女ムシェット(1967年製作の映画)

3.5

匂いが立ち込める。欠乏感に身をよじる。望むべくして不幸という快楽を選びとったかのように見せる錯覚。

ニッポン国 古屋敷村(1982年製作の映画)

3.5

ところどころとんでもないけれど、ところどころどうしようもない。一時系列に納まっていることに驚愕すらしてしまう。稲とシロミナミ、国債とラッパ。

うたうひと(2013年製作の映画)

3.5

よく話よく眠る神たちの片鱗。

話すもの聞くものが共に手を携えて、民話/昔話という異界へ参入していく。

願わくばラスト30分を削るか、霧散させるか。

なみのこえ 気仙沼(2013年製作の映画)

3.3

陳腐化する形式、そのまま記憶の行く末に当てはまる。蔑ろにされ、慣れきった怠惰によってしか延命されない固有形式。対面と正面の不可解な固執と、聞くと話すが安易に成立しすぎる気配のなかで。

なみのおと(2011年製作の映画)

3.5

生々しさと余所余所しさ。語る主体の立ち上がりと弛緩した慣れ。もう思い出させるものしか思い出せなくなってしまった、忘却の先。

青年の海 四人の通信教育生たち(1966年製作の映画)

3.4

片手間に学ぶことを宿命付けられたものたちの忸怩たる語り。

三里塚 五月の空 里のかよい路(1977年製作の映画)

3.5

小川の途方もない共感が先走る。頷く間もなく同調と提案がなされてしまうような傾聴。

緊張などなく弛緩した共同感覚と土地に平伏すことを熟知したものどもの尊い怒り。

三里塚 辺田部落(1973年製作の映画)

3.6

私たちはこう生きている、きた。君たちはどうか、どうだ。

三里塚 第二砦の人々(1971年製作の映画)

3.5

闘争のステージが悲しいまでに上昇している。単に集まる(デモス)ことから、生死を分かち合う戦争状態へと必然的に推移していく切実と愚かさの全容。

三里塚 岩山に鉄塔が出来た(1972年製作の映画)

3.4

泣き慄き。鳴き喚き。水平化する権力と垂直化する抵抗。

ボストン市庁舎(2020年製作の映画)

3.5

実現特務機関としてありうるか、行政。用も無用も綯交ぜにしたArtist Collectiveとしての。