ろいろい

攻殻機動隊 SAC_2045 シーズン2のろいろいのネタバレレビュー・内容・結末

攻殻機動隊 SAC_2045 シーズン2(2022年製作のアニメ)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

"ネットは広大ね。恐らく次に人類が特異点を迎えるとき、それはこの星を飛び出し、遥か彼方へと広がっていくだろう。"

■感想■
シーズン1から約2年の歳月を経て配信開始となった待望の攻殻機動隊 SAC_2045シーズン2。
待ちわびた…!!😭
従来シリーズよりも難解なので注意⚠️

OPはデジタルアートと呼べるべき至高の映像。
世俗を隅々に反映したセリフ。
ジョージ・オーウェルのディストピア小説『1984年』を土台とした重厚な構成。
政治色は弱いけど、思想色と未来的な知見が強いストーリー。
シーズン1よりも進化した攻殻機動隊がそこにはあった。

CG映像とカメラワークは、まるでゲームをプレイしているかのような感覚。
そういえば押井監督が数年前に『映画はゲームに水をあてられている』とか何とか言っていたのを思い出した。
やはりたどり着く箇所は同じなのだろうか。
とはいえ、CGのせいでかつての『緊密』な演出が消え去っていることは否定できない💦

序盤は新キャラの江崎プリンについて。
シーズン1を見た限り、正直江崎プリンは公安9課には必要のない存在だと思っていた。
少佐やバトー、サイトウやイシカワと余りにもキャラが違う。恰好良くない。
だから何かしら意味のある展開を期待していた。
そしてカギとなるのは攻殻機動隊SACのサンセット計画の惨殺事件。
一体江崎プリンとは何者なのか🤔
それを知ったとき、ファンの思い出を起爆剤として涙が出てしまった😭

中盤からはトグサの行方も絡んでくる。
SACではJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。
2nd GIGでは架空の思想家、パトリック・シルベストルによる『初期革命評論集』。
本作ではジョージ・オーウェルの『1984年』。
『1984年』と言えば"ビッグ・ブラザー"、"テレスクリーン"、"101号室"、"思想警察"
そしてキーとなる"ダブルシンク(2重思考)"が有名で、これらの語彙は権威ある英語辞書に掲載されるほど社会に影響を及ぼした小説だ。
そんな小説が纏わりつくようにストーリーに絡み合っていき、魅せつけてくる。

終盤は米帝からの攻撃にポスト・ヒューマンとの決着。
Nの正体。そしてシマムラタカシの目的が明らかにされる。
人によってはシマムラタカシのカリスマ性を重視するみたいだけど、私はメッセージ性を重視しているので、気にしていない。

そして何と言っても神山版攻殻機動隊シリーズの中でトップの難解箇所であろう最終話の展開。
少佐はシマムラタカシに繋がったプラグを引き抜いたのだろうか。
シマムラタカシは少佐に「あなたはまれに見るロマンチストです」と言った。
だからダブルシンクに少佐は成らなかったと。
ここが非常にわかりにくい💦
以下は個人的な解釈です。
①少佐もNになっている
 続けてシマムラタカシは少佐に「現実と夢の違いがほとんどありません」と言っている。
 本来ロマンチストもリアリストも現実と夢の違いを認識しているからこそ成り立つものだと私は思っている。
 相反する2つを受け入れている状態は既に"ダブルシンク"と言えないだろうか。

②リアリストでありロマンチスト
 SAC第12話での少佐のセリフ「現実逃避をロマンチストというならね」を元にしたもの。
 つまり、少佐にとって現実世界は夢を実現できる場所であり、現実世界と夢は同一だと言うこと。

恐らく少佐は最後にプラグを抜いていない。
だからこそトグサが離婚していないシーンやバトーと少佐以外プリンの記憶が残っていないシーンが描かれたのだろう。ちなみに、バトーにとってプリンの記憶は全て受け入れているものだから記憶が残っているのだと思われる。

では最終的に公安9課は敗北したのか?
たしかに公安9課は敗北したのだと私も思う。
しかし、Nが人類の進化だとしたら?それは同時に人類の勝利でもあるように思えた。
そして細胞レベルで厭世/楽観、希望/絶望が脳に直撃してくる感覚に襲われた。

最後に
最終話のタイトルは『DOUBLE THINK/事象の境界』。
ダブルシンクになった人間は物事の境界がなくなり、"解脱している状態"なのだそう。
ダブルシンクといい、ダブルスピークといい、本作では二重表現が目立つ。
個人的にはNも2つ以上の意味を持ったダブルミーニングだと考えている。
1つは、少佐が最終話で意味深に言ってたり、今回のサブキー的な扱いとなっていた"ノスタルジア"。
他の候補としてはN = ニュートラルやN = null。Nぽで真っ先に浮かんだのはNullPointerException。
この辺りが思い付いた。

そんな本作は1度見て理解できなかった人はぜひもう1度見て欲しい。
そして今を生きる全人類に1度は観て欲しい。

ラストは押井監督をオマージュした締めくくり。
少佐がバトーに言った言葉『次に会う時には互いを認識できないかもしれないわね』。
これを言うということは次回作はもうこないのかもしれない。
来たとしても数十年先の未来なのかもしれない。

以下余談。
・「ゴーストはどこに宿るのか」という命題を適当に扱いすぎている。これは致命的🙅‍♂️
・やはり菅野よう子が抜けた穴が大きすぎる💦
・攻殻機動隊にしては親切すぎるシーン切替と情勢。そのせいで緊張感が無く、間抜けに見えてしまう。
・新キャラが不要。新キャラに関する展開だけご都合主義すぎる。
・イシカワのセリフ『この国の政治家は、いつになったら建設事業以外に目を向けるようになるのかね』がオリンピックで笑った。
・「戦争は平和である 自由は屈従である 無知は力である」
 これを理解するのは怖いと思いつつも、理解してみたいと思う気持ちもある。
・そういえば神山監督は以前に本で『マトリックスの展開はラスト逆になると思ってた』と言ってたらしい。本作のラストは思い描いていたマトリックスを攻殻機動隊に投影したものだったんじゃないだろうか。
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