夏藤涼太

機動戦士ガンダムユニコーン RE:0096の夏藤涼太のレビュー・感想・評価

4.1
#1話
今年はbs11での1stガンダムTV版全話に加え、アマプラでのZガンダム、ガンダムFCでZZガンダムとそれぞれのTV版も一気に観れたので、なんならとそこから何度目かの逆シャアを見、せっかくなので、実質的なZZ・逆シャアの続編であるUCを見ることに。

ガンダムは基本的に、モビルスーツやロボアクションが好きというより、富野由悠季の作劇やテーマが好きで見てるので、UCはスパロボ知識のみで未見。

作画は綺麗だが、正直今見ると、本気のセル画の逆シャアや、あるいは本気の現代アニメの閃ハサとかとどうしてと比較してしまって、あまり感動はないのだが……
なんといっても音楽を使った演出が凄い。澤野弘之、バンザイ。
でも、富野ガンダムは淡々としたところがあるから、澤野弘之の劇伴はちょっとエモすぎて合わないだろうな。演出過多なところがあるUCならではの劇伴だと思う。

#2話
ネェル・アーガマ再登場はテンション上がったが……艦長が無能臭くてオイオイとなった。
そしてΖからの続投がハサン先生って……福井晴敏、あまりにも渋すぎるだろ。そもそも宇宙世紀の中でもっとも?影の薄いZZの実質的続編というだけでガノタがすぎるか。

と思いきや、その割にはフル・フロンタルのシャアオマージュっぷりはSWep7ばりのわかりやすさでちょっと浮いてる気もするが……まぁ、商業的な判断かな。
「あの声…シャア」みたいに言われてたのは笑った。アニメではあんまり見ない演出だが、そりゃあ池田秀一だもんな、覚えちゃうよな、声。Ζで演説してからは、シャアはもうお得意のなりすましはできないわけだ……

でも、ネオ・ジオン、表連邦(ロンドベル、ネェル・アーガマ)、裏連邦(エコーズ)、ビスト財団(AE)と……勢力分布はΖガンダム並みに複雑だ。

ところで、そういえばZZのミネバは影武者だったんだよな…ZZのミネバ様回、いったい何のためにあったんだろう……

さて、ラストにお披露目となるユニコーンガンダムだが…せっかくユニコーンをシンボルとしてるんだから、角のとこは常にユニコーンモードでいいんじゃないかなと思うのだが、やっぱり2角じゃないとガノタは受け入れてくれないのかな。ありそうでなかったデザインでかっこいいと思うんだけど。

#7話
ここまではファンサが続いていた印象だったが、ここからようやくUCの物語が始まるのかな。
基本的には1stとZっぽい世界観だし、台詞回しは富野感あるものの、正体不明の「ラプラスの箱」をマクガフィン的に、あるいは謎で話を引っ張る作劇法は、ガンダムというよりもエヴァ感がある。ユニコーンガンダムの特性とそれがもたらす演出も、モビルスーツというよりもエヴァっぽい。
(ラプラスの箱とリンクする)主人公と(王女の)ヒロインが世界の命運を握っているという設定は、完全にセカイ系のそれだしな……

なにより、富野ガンダムでは史実の戦争を反映した「死の商人」たるアナハイムが、UC(福井晴敏)オリジナル設定のラプラスの箱(ビスト財団)と絡められたことによって、それこそゼーレよろしく、地球連邦すら支配する力を持った影の政府みたいな存在になってしまったのは、ちょっと残念。
(時には面白さを捨ててでも)「本当の戦争」にこだわってきたのが富野ガンダムで、良くも悪くもアニメらしくないところが特徴であり好きなところだが、UCは「普通に面白い(深夜)アニメ的」な作風なんだよな。まぁエヴァ以降の作品だから仕方ないか。

でもスペースノイドと宇宙移民のくだりは、重要な要素でありながらもあまり語られてこなかったので、膨らませてくれてありがたい。

しかし、戦場から逃走したはずのプルトゥエルブがなぜまたジオンに…?と思っていたら、まさかの想像以上にハードな過去。ハサン先生も久々のドン引きですよ…

ところで、ユニコーンガンダム(NT-D)は「ジオンが遺した最大の神話であるニュータイプを抹殺するために造られたシステム」と語られており、その規格外のシステムは「(天然のニュータイプではなく)技術の産物である強化人間」にしか扱えないというのは、なかなか面白い設定だなと思う一方…
天然のニュータイプであるバナージがNT-Dを使いこなして、強化人間のマリーダ(シナンジュ)を倒してたのは……よくわからん。

攻撃対象だけでなく、乗り手すらも抹殺するシステムだから、強化人間込みでニュータイプを殲滅できるシステム…っていうなら、話も通じるんだが……

#14話
12話の、バナージvsロニからの「撃てません!」に引き続き、今回の、バナージvsマリーダからの「俺を独りにするな!」が激アツ。

1st〜逆シャア(つまり富野ガンダム)が好きな自分としては、(どれだけ1st〜ZZのキャラが出てこようとも)「ガンダムというよりエヴァっぽい話の広げ方、描き方だな……」と複雑な気持ちになってしまうのだが、劇場版を前提に作られたOVAだからこそ生まれ得た、作画や音響、声優の演技、そして何より澤野弘之の劇伴とが、渾然一体となって生まれるこの圧倒的な演出力を前にしては、問答無用で心を動かされてしまうね…。

また12話での悲劇があったおかげで、今回のマリーダ救出も、「普通に考えたら何とかなるけど、また最悪の事態になるんじゃ…」と考えてしまい(まぁそれを求めている自分もいるのだが)、ドキドキして見ることができた。

#15話
OVA版EP5の、ジンネマンとマリーダのドラマに次ぐもう一つの盛り上がりどころ(とされてある)サイコフィールドの発生についてだが、OVA版ではなくTV版で見ていて、マリーダ救出回とその後のサイコフィールド発生回が区切られていたために、気持ち的に冷静になっていたところがあり、そんなに感動することはなかった。
ちょっと残念

#16話
前話までの盛り上がりに反し、この辺は最終章前のタメ的な地味な話…という評価のようだが、個人的にはやっと「UC」の本質がわかり、面白くなってきたなと評価の上がったエピソードだった。

元々MS戦より政治劇のが好みでガンダムを見ている自分としては、序盤から、(死の商人として描かれてきたアナハイム社をゼーレみたいな地球連邦のディープステートにしたのは許せない一方で)アースノイドとスペースノイドの話が掘り下げられてるのはかなり良いなと思っていた。

というのも面白かったのは、フロ・フロンタルの唱える「サイド共栄圏構想」である。

まさか地球なしでも各コロニーが自活可能なのだとは気づけなかった。しかし言われてみたらコロニーだけで自活できるようにするのがコロニー装置なわけで、地球はボロボロだしで、上手いこと設定の膨らみを見つけたものである。

まぁ、サイド共栄圏は言うまでもなく「大東亜共栄圏」のパロディなわけで。
この辺は富野ガンダムっぽさがあるが…富野由悠季の場合はここに自分の想いや投影を乗っけてくるのが面白いところである。
しかしUC(福井晴敏)の場合はちょっと違って、極めて冷静に、富野ガンダムっぽさを出しつつ、テクニカルに活用している感がある。

というのも、フロ・フロンタルの理想において大東亜共栄圏をもじることで、ネオ・ジオン上層部…というかフロ・フロンタルの唱える理想がいかに自分勝手なものか、ネオ・ジオン一般兵との意識(理想)と現実にどれだけ乖離があるか、そしてスペースノイドのためと言いながらネオ・ジオンがどんなことをこれまでしてきたのか…そういった複雑な現実を一言で言い表し、理解させてくれるので、1つの演出として非常に上手い。

ガンダムUCはガンダムというより作劇においてはエヴァっぽさが目立つと何度か書いているが、この辺のスペースノイドの掘り下げは、断片的にしか語られてこなかった、宇宙世紀ガンダムの重要な要素に新しい視点を与えてくれてとても良いと思う。

また面白いのが、その後の強烈なミネバの口撃だ。

「……聞いてしまえば、つまらぬ話だ。(略)人類の革新を夢見たジオン・ダイクンの理想からは遠い。地球を人の住めない星にして、人類を残らず宇宙(そら)へ上げようとしたシャアの狂気、熱情からも程遠い……。(略)再び人の前に立つと決めた男が、そんなことで……(略)……私が知っているシャア・アズナブルは、本当に死んだな」

それに対するフロンタルの

「いい悪いという問題ではありません。それが人の世だということです。器は、考えることはしません。注がれた人の総意に従って行動するだけです。全人類を生かし続けるために」

に加えてバナージの

「……なんだか、他人事みたいだ。自分たちの今後を語っているのに、あなたの言葉には他人事みたいな冷たさを感じる」

というやり取りで、これまで、どうもガンダムUCがイマイチだった理由……最大の敵キャラであるフロ・フロンタルがイマイチなキャラだった理由がわかり、逆に、フロンタルもUCも、途端に魅力的に見えてきたのだ。

序盤から、フロ・フロンタルは見た目こそシャアだし、なんなら(ダサさも目立つ)シャアよりスマートで有能っぽくすら見えるのだが、実際としてはシャアより遥かに魅力に欠けるキャラだと言われてきた。

シャアからは狂気やリアリティ、迫真の想いが見えてくるが、フロ・フロンタルにはそれがない。
そして、シャアの持つ狂気やリアリティ、迫真さは、富野由悠季の持つものだ。シャアは富野由悠季の(負の人格の)投影なのだ。
フロ・フロンタルがキャラクターとしてつまらないのは、結局、富野由悠季のような面白い人間が作っていないから…だと思っていたのだが、ここの「器」発言でやっとわかった。

シャアが富野由悠季の投影であったように、フロ・フロンタルもまた、福井晴敏の投影だったのだ。
フロ・フロンタルのつまらなさ…「虚無さ」は、自身が「器」だと語っているように、意図的なものだった。
それは、(ガンダムUCにおいては)自分の作家性(魂)はなくして、あくまでサンライズやガンダムファンの望みや想いを受け取りそれを作品化する「器」に過ぎないという、福井晴敏の告白だったのではないか?

インタビューによれば、福井晴敏は当初はZZと逆シャアの間を埋める、ポケ戦や0083のような外伝をやるつもりだったが、サンライズ側から、「宇宙世紀全体を総括するような作品」「ニュータイプ論」をやってほしいと言われ、結果として、宇宙世紀元年から100年(ジオンの消滅)までを描くと同時に、アムロとシャアの対立にもケリをつけるという、とんでもなくデカい企画になったという。
しかもアニメ制作時には、アニメスタッフの(ネオ・ジオングなどの)むちゃぶりや後付けも受け入れて自身の整合性のある小説のプロットを(たとえ違和感が生じようと)大きく改変するという滅私っぷりを見せている。

たとえばUCにZZ要素が多いことから、「福井晴敏はZZも愛するガチの富野オタクなんだ」という声をたまに見かけるが、そんなことは決してなく、UCを描くために(それまで見ていなかった)ZZを初めて見たぐらいで、しかも「サンライズフェスティバル2013星彩」でのトークショーでは

「プルがお風呂から出てきてプルプルプルプル~ってやり始めた時は、さすがに仕事とはいえ見続けるのが苦痛だった」
「例えば日本史が好きだ、という場合に信長は好きだけど、秀吉は嫌いなので秀吉はナシの方向で次は家康、というのはありえないじゃないですか。だから『ZZ』がどうこうじゃない。事実としてそこにあるんだからしょうがない」
「僕はよく「福井さん『ZZ』好きですよね」って言われるんだけど、そうじゃない! これが自然なんだって!」とまで述べている

などと、かなりぶっちゃけた話をしている。

で、事実その内容は、1stや逆シャアどころかZZファンやVガンのファンをも喜ばせるもので…
まさに、2000年代のガンダムに失望していた「古参ガノタが求めるもの」を全乗せしたようなガンダムUCは、1stファンを中心に大きな熱狂を呼んだわけで。

まぁその気持ちはわかるのだが、個人的には、最初から最後まで、ファンサがすぎるというか…あまりにも富野ガンダムを(表面的に)なぞりすぎていて、スターウォーズep7を見ているときのような気持ちになったもので。SWep7もファンからは絶賛だったよね。
(なおガンダムUCラストのオカルトニュータイプが叩かれているのをよく見るけれど、これまでのガンダムを総括すると考えたらあの程度は必然かと。逆シャアのアクシズ回避だって、富野由悠季以外が描いていたら絶対に叩かれていたはず)

しかし個人的には、「ガンダムの最大の面白さ」は「富野由悠季の作家性」にあると思っているので、福井晴敏も十分にプロの作家なので、もっと作家性を出したものが見たかったな…と思っていたのだが、そうか、本人のそのスタンス(UCにおける作家性)は、ちゃんとフロ・フロンタルに投影されていたわけで、ある意味では「作家性を出さないのを作家性」として、ちゃんと芸術表現に昇華していたわけだ。

まさにガンダムUCを書いている時の福井晴敏は、(狂気の自主性を持つ「人間」)シャアではなく、(個や自我を殺した道具的な「器」に過ぎない)フロ・フロンタルだったのだ。

なお、ミネバやバナージからは叩かれまくったサイド共栄圏構想だけど……
実際には、やってもよかったんんじゃないかなって思う。だって、結局シャアの反乱(第二次ネオ・ジオン抗争)からたった30年間後には宇宙全体を巻き込む戦乱の時代が始まるわけで…
(もっともUC200年代のGセイバーでは地球連邦は解体され、地球は深刻な食糧危機状態となっておりコロニーからの輸入で資源をまかなっているという設定なので、ある意味サイド共栄圏の先の世界になっているが)

ただやるなら、逆シャアの時代だったな。

あの時は多くのコロニーがネオ・ジオンに協力的だったらしいし、逆シャアでの敗戦で、ネオ・ジオンの戦力は徹底的に削られてしまった。
フロンタルの時代じゃ、いくらアナハイムが死の商人でも地球連邦との癒着が勝り、前面戦争したら勝ち目がないだろう。かといって他のコロニーと連合を組んで戦うにしても、カリスマ性のないフロ・フロンタルじゃ、これまでのジオンとの禍根を覆せるほどコロニーの協力を得られない可能性があるし…
まぁ地球連邦を倒せたとしても、その後には結局コロニー戦国時代が訪れただろうな。
シャアがいたら、それも起こらなかったかもしれないが…言うてシャアにも寿命はあるからな。遅かれ早かれ戦争を始めるのが人類か。現実の世界もそうだしね。

当時は「富野由悠季の作る宇宙世紀という概念は、なんて悲観的な、救いのない世界なんだ」と言われたかもしれないが…2023~2025年の世界のヤバさを見れば、まこと慧眼であろうよ。
まぁ富野由悠季なら、ニヒリズムの蔓延する現代でこそ、逆シャア的な希望に満ちた作品を作りそうなものだが。
次回の富野ガンダムは、果たして白か、黒か…

#20話
ラプラスの箱の中身が「しょうもない」というのは事前にさんざん知らされていたし、なんなら見てみたら「しょうもなさ」みたいなものが一種の「ラプラスの箱」を巡るテーマにもなっているし、そこに不満はなかった。

ただ…これまでのラプラス事件や地球連邦におけるビスト財団(をバックにするアナハイム社)の暗躍っぷり、そしてラプラス事変が、ラプラスの箱の中身――宇宙世紀憲章の幻の条文第七章第十五条――で起こったというのは…ちょっと無理があるんじゃないんじゃないかと。

そもそも宇宙世紀憲章の真実を知っているのがビストだけだったというのが、まず受け入れられない。

小説では「条文に賛同した政治家、条文の存在を示す証拠や見てしまったマスメディアまで、全てがリカルド派らによって闇に葬られた」とあるけれど…「条文に賛同した政治家」には各国代表、およびその関係者や親族も含まれているわけで。
その人達も全員闇に葬るなんてできたのだろうか?しかも宇宙世紀元年は(当のUCの後付けで)普通に現代のようなネットの時代だったらしいし、なおさらもみ消せるのか怪しいものである。
その場の会議で、クローズドに、石碑に直筆で書き加えられたとかならもみ消せるかもしれないが、第七章第十五条はちゃんとオリジナルの石碑に彫られていたので、それなりの人が知り、その資料も多く残っていたはずだ。

…まぁ、それだけ連邦保守派のもみ消し力が凄かったと仮定して、そこを受け入れたとしても…
そうなると、今度はサイアム・ビストなんていう一市民が宇宙世紀憲章のオリジナル版を持っていても、何の問題もないと思うんだよな。
連邦がメディアを操作すれ(そしてそれはラプラス事件の真相をもみ消せたのならば可能なはずだ)ば、仮に発表されても陰謀論やフェイクだという方向に持っていくことはできるだろうし、そもそも、サイアムなんて帰還当時は(ラプラスの箱以外)何の力も持っていなかったんだから、普通に暗殺するなりできただろ…と。
サイアムが裏社会で力をつけられたのはラプラスの箱を持ってたかららしいし。

この辺がしっくりこなかった上、この設定は宇宙世紀において重要なアナハイム社のバックボーンにも関わってくるので、個人的にはやはりUCを宇宙世紀の正史に盛り込まれるとちょっと…という感じだ。

#22話(最終話)
ガンダムUCといえば、ラストのオカルトニュータイプが(UCの宇宙世紀正史否定派から)叩かれているのをよく見るけれど…
個人的には、(ラプラス事件〜アナハイム社のリアリティのない後付け設定と比較すれば)こっちの方はこれまでのガンダム(宇宙世紀)を総括し、ニュータイプ論をやれというサンライズからの企画を考えたら、この程度は必然かと思うので、別に萎えるようなことはなかった。
逆シャアのアクシズ回避だって、富野由悠季以外が描いていたら絶対に叩かれていたはずだ。

なにせニュータイプは、〝可能性の獣〟ですからね。

序盤から思っていたが、〝可能性の獣〟とは上手いこと言ったもので。
富野由悠季の描く(ただのオカルトや超能力者ではない)当初の「希望と同時に危うさを抱えたニュータイプの本質」を上手く捉えた素晴らしい表現だと思う。さすが小説家、言葉を扱うプロである。

…というわけで、2024年にはテレビ版1st、テレビ版Z、ZZ、逆シャア、そしてこのUCまでイッキ見したということで、どうせならと、閃ハサも2024年年末に見返したので、次は閃ハサの感想を書きます。
夏藤涼太

夏藤涼太