わんこ我々はら組

進撃の巨人 Season1のわんこ我々はら組のレビュー・感想・評価

進撃の巨人 Season1(2013年製作のアニメ)
4.7
【4】2024.5.9 同時視聴

最終シーズンまでのネタバレを含みます!(直接的ではないが、テーマのネタバレは多分に含みます)

注意してください!!!

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人生1の物語だと俺が勝手に思っている日本のアニメ史のみではなく、世界におけるアニメーション史において圧倒的な影響を残した大傑作。『長靴をはいた猫と9つの命』見た時とかめっちゃ笑ったもんね。

傑作から新たな傑作が誕生するレベルの完全に新たなアニメーション表現に加え、ここまでのストーリーテリングが存在しただろうか。

今回のシーズン1では、この後の展開を示唆するような情報と、最後まで提示され続けるテーマが私たち観客に投げかけられます。生きる意味とはなんだろか、と。

物語は一貫して、巨大な壁に「囚われた」人類を客観的に(最終シーズンまで見た人は主観的に)映します。

人類は、自由が自分たちから失われていることにも気づかず、しかしそもそも自由とはなんなのかがぼんやりとしたまま物語は信仰します。

進撃の巨人において、世界とは美しく残酷なものであると形容されます。リヴァイは自分の選択の結果についてはわからない、と将来の不確実性を説きますが、それはこの作品の自由と共鳴しています。

自由とは、つまり自由意志のことであり、自由に海を見ることができることです。
今シーズン中盤、メインキャラクターたちは調査兵団か駐屯兵団か憲兵団を選ぶ瞬間が訪れます。このシーンは自らで選ぶことを尊ぶことに加え、流れ(このシーンにおいては駐屯兵団を選んだ人の流れ)に逆らうことでその自由は自ら勝ち取ったものになる、のでしょうか。

シーズン1では、今後の展開を予見するような台詞の数々が存在し、2周目以降この作品を見たものにとっては未来は果たして確実なのか、不確実なのかわからなくなるかもしれません。

しかしそこで提示される未来はエレンイエーガーの未来に過ぎません。
最終的に、流れに逆らって自由を手にするのは果たして誰だったでしょうか。

こうやってアバウトに書いていると読む人に通じているのかどうか全く不安になりますが、伝わったと信じてシーズン1を終わります。

シーズン2以降でエレンの怒りについて掘り下げることができたらいいな。