久々に観たけどやっぱり震えている自分がいる。
もうね石田彰演ずる菊比古と山寺宏一演ずる助六に首ったけなのよ。いや、もう二人の落語がたまらなく上手じゃないかい。しかもなんともイケていて恰好いい。そもそも落語家なんてもんはカッコ悪いのが基本じゃないか。なのにこの作品では抜群に恰好いいんだよ。そこがとにかくずるいねぇ。あ、言葉足らずだ。カッコ悪いから恰好いいんだぜ。
伝統を守る/壊すってのは落語家にとっての一大サーガなの。みんなそれを考えていた。伝統を守るものというと八代目桂文楽から始まって、さらには古今亭志ん朝、そして柳家小さん、またあの立川流だって立川談春が受け継いでいると思うの。
で壊すってのは古今亭志ん生から立川談志。あとは先代の林家三平、また今の立川なら志らくなんかもそれに当たるか。落語ってのはなんなのかというある意味求道的なものまで考えてしまっている(どうもこっちは荊の道なような感じもする)。
そうこの作品は落語家が今まで苦しんできたことを思いっきり前面において語るんだよ。だから滾らないわけないじゃんって。最後旅館のシーンで菊比古が明烏をやって助六が芝浜をやっていたのもそのオマージュなんではと思って見ていた。明烏は言わずと知れた八代目桂文楽の十八番。そして当然芝浜は古今亭志ん生の十八番だ。さらには談志も十八番にしている。この二つの演目を旅館なんかで聞ける客は幸せものだよ。
さらにそこに狸顔の女、みよ吉の「業」ね。落語ってのは面白いとか面白くないとかの前に人間の「業」を語るものだと言ったのは立川談志だ。そしてみよ吉は女としての「業」をしっかりと体現している。好きな男と一緒になって死ねたらいいと思うのも「業」ならば、それもすっかり反故にしてへらへらとまた別の男に乗り換えるのも「業」。ああ品川心中じゃねえか。狸顔の女は男を狂わせるんだ。
久々に寄席に行きたくなった。学生のころは週1くらいで寄席に行っていたけど今はとんといかなくなった。落語は面白いだけじゃない。「人生への共感」とはまさにその通りなの。笑って泣いて震えて。それが全部落語には入っているんだよ。