shishiraizou

オーバー30のshishiraizouのレビュー・感想・評価

オーバー30(2009年製作のドラマ)
-
TBSの昼ドラが40年の歴史の幕を閉じました(最終作は「愛の劇場」が『大好き!五つ子』、「ひるドラ」が『おちゃべり』)が、その終わり間際に、『オーバー30』(CBC最終作)という素敵なドラマに出あえたことは、悲しいなかにも幸せなことでした。
30を過ぎた女の幸せとは?という題材を、主婦代表のアイコさん/島崎和歌子と、キャリアウーマン代表のミカさん/遊井亮子との対比で描く、という取り立てて新味のない企画なのですが、非・プログラムピクチャー的作品が一発一発が勝負作(商品価値がはっきりとした短絡的快楽の供給源)とならざるを得ないのとは異なり、企画意図や主題にドラマの語りが縛られずに、普通の日々の、生活でのささやかな感情の移ろいやすれ違いを、これといって派手なフックもなく丁寧にのったりくったり描くことが出来るのは、やはり連綿とつづく“枠ありき”な環境に負うところが大きく、そういった「なんということもない描写」が意匠として気張らずに存在を許されるのが、プログラムピクチャー的なものの名残りとしての、テレビの連ドラの大きなアドバンテージだと思います。“冴えてみえるように”とか色気を出したら、『オーバー30』の優しい味は出ないでしょう。
『三代目のヨメ』などでは、登場人物たちは物語や主題や役柄の配置に奉仕していて窮屈な印象でしたが、『オーバー30』に登場する人々は、それらに奉仕する以前にまず人と人との関係を生きる「人間」であって、しかしその描かれ方が「自然体ふうリアル」でなく“普通のドラマ”としてなのが素晴らしい。そのドラマの帰結は、「主婦的な生き方の肯定」にも「キャリアウーマン的な輝き方の賛美」にも傾かず、ただ、アイコさんがいて、ミカさんがいる、彼女らやその周囲の人々が、日々生きていくなかで、時に躓き苦しみ、時に幸せに人と繋がるということとしてあらわれる。付属的なキャラとして、図式的配置に埋没してもおかしくないような娘のサクラコ/小池彩夢や息子のケンタ/鏑木海智、別居中の夫・ナオユキ/高知東生が、キャラではなく温かみのある人間として存在していました。

2009.10
shishiraizou

shishiraizou