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メンドル~イケメンアイドル~のshishiraizouのレビュー・感想・評価

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ライト層はもとより、ヲタからさえも小馬鹿にされてるんじゃないかとも思える『メン☆ドル イケメン・アイドル』ですが、表面的な印象は冴えなくても青春のツボはちゃんと突いた爽やかな小品だと思います。腐男塾のパクリとか言って思考停止していたらもったいないし、そもそも男装の女性アイドルなんて定型的なネタで、アイデアや元ネタがどうこう言うものでもない。非・サブカル的な語り口の泥臭さは、“青春”の愚直さと親和性があるとおもう。スタイリッシュな描写や新劇的な演技の有無は、どんな映像作品にも適合する絶対的な価値基準でないでしょう。
『メン☆ドル』のヌルさ、ドタドタしたテンポは、なんだかわからないままに必死に這いつくばって夢に向かって生きることの青臭い泥臭さ、みっともなくも愚かしいことの真っ直ぐな清々しさ、としてもあって、このドラマでは、それがある種のスタンダードともいえる、「走ること=青春」として表現されています。

アイドル志望の女の子3人が、ある偶然のきっかけから男装して男子アイドルグループ「ペルソナ」としてデビューし、トップをめざす。そんな、芸能界を舞台とした、いちおう華々しい物語をもちながら、なぜか『メン☆ドル』の主人公たちは、自動車等の乗物にいっさい乗らず、事務所や営業先やTV局や隠れ家や公園を走って走って行ったりきたりする。その「走る」という行為が、無償のものとしてあらわれてくる。
アンタッチャブルなデータをアサヒ/リク/小嶋陽菜とナミ/カイ/高橋みなみが無自覚に手にしてしまったことから、白竜演じる追手の黒にゃんに何度も何度も追いかけられて意味も分からず走って走って逃げ回るのはもちろん、このドラマでは、必ずしも結果の伴わない「無償の走り」が繰り返されます。

大物ゲイ能人・ルビー・ゲイツ/ダイアモンド・ユカイの餌食になりそうになっているヒナタ/クウ/峯岸みなみを救うために、走って走って駆けつけるリクとカイだが(5話)、もともとユカイはそんな気分じゃなかったし、そもそもこのピンチはカモノハシ芸能社社長・冴子/広田レオナがユカイに仕掛けたトラップであって、クウのことは寸前で助けるつもりだった。リクとカイの必死の走りは、どちらにしろ事態に何の影響も及ぼさないものだったことになります。
あるいはまた、憧れの〈ミュージック・10〉の出演を前にして、失われてしまったペルソナの衣装を取り戻すため、奪った犯人と思われるスタイリスト(まえけん)を追って追って追って街中を走りつづけるペルソナの3人の姿が、異様なほどの執拗さで延々と描写されますが(6話)、結局まえけんは犯人ではなくてクリーニング屋が洗濯していただけでスタート時にいた事務所に返却されたわけだし、そこから〈ミュージック・10〉のリハーサル(1秒でも遅れると永久追放)に向けて再ダッシュ、走って走ってTV局に駆けつけるも、寸前のところで間に合わない。この6話全編に及ぶ「走り」は、結果として何の成果もうまないのだった。
10話での、たったひとりのファン(ハッタイ/満島ひかり)との約束を果たすために、芸能界復帰のラストチャンスのTV出演をドタキャンしてまで商店街のクリスマスイベントに3人は走るが、例によって開始時間には間に合わないわけだし、スキャンダルによってドン底のペルソナがインディーズ再デビューをもちかけられ(8話)、3人は費用の50万をつくるためにバイトで(もちろん)走り回り、果ては水着コンテストにエントリーし水着姿で障害物競走のトラック(?)を一心不乱に駆け抜けるが、やっとのことで作った50万は案の定、まんまと詐欺師にもちにげされてしまう。

これらの「走り」は、めざされた成果を生まない、物語に進展をもたらす説話的機能から断絶した無為で無償のものとしてあります。そのようにして、そこから浮かび上がってくるものこそ、「青春」的な、無為で純粋な「気持ち」であって、あのひとの笑顔が見たい、この時を輝いていたい、こいつらと一緒にいたい、といった、損得勘定抜きの、ただそれだけのものとしての、そのものとしての「気持ち」が、清々しく、キラキラと輝く。男装アイドルであることも、トップスターであることも、このようにしてこの仲間と一緒にいることも、いつかは終わりが来るものとしてあって、それだけに、うまく立ち回りトクするためではなく、この束の間の輝きの時間をほんとうの気持ちで生きようとする。それが「青春」であって、「走ること」だという表現として『メン☆ドル イケメン・アイドル』というドラマはあった、とおもう。
(それだけに、大詰めの11話でワゴン車に乗るシーン(主人公らの、唯一の乗物場面)があらわれたのには大変ガッカリしましたが‥、これは、身の安全のために、ペルソナであることからも芸能界からも完全に身を引いて諦めて、ハリウッドに逃亡するという、虚より実をとる、反・『メン☆ドル』的/反・青春的な身振りであったから、でしょうか。そして、そのあとのクライマックスでは、「実より虚をとり」、生命の危険をかえりみずに、3人はペルソナ最期のステージに立つことになります。)

2009.1
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