Qちゃん

大仏開眼のQちゃんのレビュー・感想・評価

大仏開眼(2010年製作のドラマ)
4.5
これ、私観たの2010年の4月とかですよ。。もう10年前のドラマなのか。。ビビる。

昔見た時のレビュー再録。

母が見たい見たい言うから私まで気になり出したというのに、なぜか肝心の母が外出中、私一人で観ることになったNHKの古代史ドラマスペシャル「大仏開眼」前編。

予想より遥かに良かった。
なんか色々胸に来るものがあって涙出た。

脚本がよかった。ドラマ自体は地味で、エンタメ性とかそういう部分での評価ではなく、「当時の社会と政治がどういう状態で、その中で誰が何を考えて動いていたのか」に焦点を当てて丁寧に描かれていたため、登場人物たちの発する言葉に重みがあり、色々考えさせられる。ドラマチックさ加減からプロの脚本家の手によるものだと感じはしたけど(それも派手すぎず、とても効果的だった)、初めは歴史や安全保障の専門家が共同で作ったのかと思った。それくらい、きっと事実そうだったんだろうと思えるほど、登場人物たちの、血の通った思考回路が生々しく伝わってきた。

後で番組サイトで調べたら、「人間の持っている魔性ともいうべき不思議なものを日常生活の中ですくい上げた作風が高く評価」されて賞も取っている脚本家が脚本担当だった。サイト内にあった、本人の以下のコメントに強く同意する:「歴史をドラマ化するとき、その時代が持つ「現代性」に驚くことがしばしばあります」。

脚本家はその「現代性」として「貧富の格差、蔓延する汚職、官僚主導の政治」を挙げているが、私が奈良時代に見た「現代」は、武力制圧に代わる法規による統治、異なる族間の不信・反目と、その中で協力体制と調和を模索する人々、紛争の危機に直面した際に起こす行動の差異とその効果など、現在の民族間紛争とそれへの対処に繋がるものだ。

どれだけ人間社会を遡っても、決して人間の考え方や論理自体はプリミティブではない。いつの時代も同じく、気付かない人は気付かず、流されている人は流されているが、見ている人はちゃんと見ている。的確な現状分析の上で、地方分権で汚職を横行させた状態より、氏姓を超えて協力し合って統一国家体制を敷設すべきだと考え、実行に移そうとする人、分かっていながらその考えを放棄した人、鼻から互いを排除することしか考えていない人、そして、他人やお上、天任せにせず、自分たちに出来ることをしようと、良心や執念、憂いから、草の根の活動を続ける行基と周りのボランティアたち。行基の姿と言葉に泣いた…。いつの時代にも、マザー・テレサ的発想の人はいるもんだ…素晴らしい。ごめん、私そんな人間じゃなくて…。

ドラマ内、藤原仲麻呂に対して吉備真備は、まさに孫子の「兵法」を実践してみせた。その様子、「兵法」を学んで論理的に理解しているつもりでも、実際に見て、正直、目から鱗が落ちる思いがした。「戦わずして勝つ」「戦わねばならない敵を作り上げない」…。ややもすれば理想論に聞こえがちなこれらの示唆は、そうか、こうやって応用し、戦争の危機を部族間共生の糸口へと変えていくのか。

同時に、クラウゼヴィッツの「戦争論」が鑑みない、武力抗争に発展するまでの段階で火種を消し、そもそもの戦争を回避することを極意とする孫子の「兵法」の含蓄の深さと偉大さを噛み締めた。欧米ではアジア的発想としてほとんど研究されてないのが残念すぎる。

見始めた時、「大仏開眼がテーマで何で主人公が吉備真備やねん」とか思っていたが、すまんかった。学があり、宮に近すぎず遠すぎず、現状を客観的かつ正確に把握できた彼の視点からのドラマ、大変よかったです。


……と、ここまでが前半のレビュー。マジか当時の私。
後半のレビューは未完だったが途中まで再録。


戦を避けるために出た平城京に、今度は戦を避けるために戻るまでの後編前半は、現実的な政治と情勢の在りように焦点を当てていた前編全般とはやや趣が異なり、理屈では割り切れぬ人間の心理と、その想いを埋める「宗教」の、政治その他の要素の持たぬ、独特の強さとそのパワーを感じさせるものだった。

私の当初の考えは、真備と同じだった。ただでさえ不足する資材と人員を投入して巨大仏像を建立するなどもっての他で、半ば玄昉に洗脳された藤原宮子と、相次ぐ自然災害は自分の徳の薄さゆえとし、大王としての自信を失い弱気になっている聖武天皇の血迷いごとに過ぎないという見方だった。「労力と資金を無駄に使うだけで、信仰は実際の利益を生むものではない。きっと民も、配慮に欠けたこの大王の決断に怒り狂うだろう」と。

しかし、ドラマの中で、大王の「盧舎那仏造営」の詔を受けた民たちは、誠心誠意をこめて大仏を造っていた。出来上がった大仏の前には、皆が一様に手を合わせた。人々の心の産物でしかないはずの信仰が生み出す力、そしてその具現化である巨大な盧舎那仏の姿は、理に叶わぬことには賛同しかねるといった真備を圧倒し、神仏をものともせぬ仲麻呂にさえも一種の畏怖の念を植え付けた。

「人は理屈だけでは動かない」「決めるのは数字ではない、皆の心だ」。行基の言葉は重い。

理に叶わぬと一蹴するのは簡単だが、社会は理のみで動いているのではない。そのことを実感させられる。
Qちゃん

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