ちょっと魔法でばんそうこ

名建築で昼食を 大阪編のちょっと魔法でばんそうこのレビュー・感想・評価

名建築で昼食を 大阪編(2022年製作のドラマ)
2.5
 (2022) テレビ大阪
シーズン1も見たので。あちらは東京の名建築なので無縁だったが、大阪に住んでいる自分でも行けるところがありそうな大阪編で嬉しい。
関係ないが池田エライザは前シーズンの髪型のほうが似合っている。ショートにするならもうちょっと違うスタイルが良かったなあと個人的に。
OP曲を変えてないところが良い。シーズン毎に変えやんくてもいいやん、って思ってるタイプ。
シーズン1のときもそうだったが、画面全体の色味が好きじゃない。も少し現実に近い色味が好み。
6話までとは…… せめて8話まではあるものと思っていたのだが。短すぎるよ。。やっぱり大阪にはそれほどの名建築がないのかな。それと、大阪編はビルディング系が多かった。
音楽:ベンジャミン・べドゥサック

#01 綿業会館
数週間カメ(爬虫類)の世話
同じ大学の文学部出身で大阪の出版社勤務の堀川美和
アノ人が大阪に滞在し大阪の名建築を巡っている
大阪名代きんつば
南北に走る道路=筋 東西に走る道路=通り
1931年に、近畿を中心に多くの商業ビルを手がけた渡邊節 設計により建てられた。
渡邊節は村野藤吾の師匠。その村野藤吾も若き日に設計に参加している。
玄関ホール:15〜17世紀イタリアで普及したルネッサンス様式を採用。銅像になっている、現在の東洋紡株式会社の当時の元専務・岡常夫(つねお)の遺贈金100万円(現在の貨幣価値 約50億円)と業界から募られた50万円の計150万円により、土地・建物・調度品がそろえられた。それだけ、当時紡績業が隆盛を誇っていた時代。(ちなみに同年(昭和6年)、現在の大阪城の天守閣が市民の寄付47万円により再建された。つまり、綿業会館はざっとお城3つ分)玄関ホールの岡常夫の銅像とシャンデリアは二代目。戦前の建物のため、戦時中の日本軍により物資供出により取られた。
会館が竣工した昭和初期当時、日本はイギリスを抜いて綿製品の輸出が世界一位だった。また、人口は東京を抜いて大阪のほうが多かった。世界でも第6位の大都市で、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれていた。いわゆる「大大阪時代(だいおおさか-)」=Great Osaka。
談話室:4面を囲む壁はクルミ材で出来ている。建築様式は17世紀イギリスのジャコビアンスタイル。現在の京都の東山・泰山(たいざん)製陶所で焼かれた約1000枚の泰山タイルの壁。デザインは5つしかない。しかし、ひとつひとつ釉薬(うわぐすり)や焼く温度によって色の変化が出ている。
リットン調査団の写真。
特別室(貴賓室):18世紀イギリスのクイーン・アン様式の部屋。桜材の壁。天井には手の込んだ漆喰の細工。寄木細工の床。
会議室(鏡の間):19世紀フランスのアンピール様式。シャンデリア、天井のくり抜き、空調の吹き出し口、全て丸(円)のデザイン。椅子、赤い生地と金色の鋲。はめ込まれた時計とそれ以外の3つの扉の上の同じ形のへこみ。オニキスという大理石がはめ込まれている。床に巻貝やアンモナイトの化石。
村野イズム満載の階段。
1900年初頭アメリカの建築様式を採用した会員食堂:天井のミューラルデコレーション。寄木細工と漆喰を合わせた飾り付け。壁は吸音材が使われている。今から90年前、まだ洋食器(フランス料理)に慣れていない日本人のカチャカチャとした音を少しでも静めようとしたため。
 ✏︎ きんつば! 「筋」と「通り」は、引っ越してきたばかりの自分も知らなかったっス!
#02 生駒ビルヂング&芝川ビル
その街を知るには朝の散歩がいちばん
古地図を見ながら 喫茶みさ ズレてる
仕事はブレスト中 京都にいる姉
スクラッチタイル(表面に凹凸)
生駒ビルヂング↓
昭和初期に流行した様式。(今回のだけかな?釉薬(ゆうやく)がかかっていて色に味わいがある。)一つずつ手作業で作られる。
1930年、大阪の建築界の重鎮・宗兵蔵(そう ひょうぞう)が設計の中心となって建てられた。
ファサードの上、五角形の中に「生」と書いてある。将棋の「駒」+「生」で生駒。
屋上の時計から下に続く出窓、2階に丸窓。巨大な振り子時計を表現したもの。
今の大阪のメインストリート=御堂筋
御堂筋が出来ていなかった大大阪時代当時、市電が走っていた堺筋がメインストリートだった。
そんな時代に個人商店がこういったビルを建てるのは珍しかった。
屋上の時計塔にあった鐘:イギリス製。このビルのために1930年に作られた。
またもや赤い絨毯の階段。「やりませんよ〜」
当時、時計は高級品だったので繁華街の中の時計ビルは皆の憧れの場所?皆の待ち合わせ場所?
従業員用の装飾のない階段。シンプルで実用的な美しさ。
残っている95年前の設計図。御影石(みかげいし)の鷲(わし)。フクロウ。
アール・デコらしいポップなデザインの時計台。後ろにある煙突もアール・デコ。
屋上の床は当時の防水・防火用のクリンカータイル。戦時中の焼夷弾(しょういだん)が落ちた跡とされる欠けたタイル。
——— ↓芝川ビル
伏見ビル 蔦(ツタ)が絡まった青山ビル
1927年、渋谷(しぶや)五郎と本間乙彦(おとひこ)の設計により建てられる。国の登録有形文化財。
南米マヤ・インカ文明がモチーフ。オーナーの芝川又四郎が、アメリカで見て影響を受けたため。
長い間 所在不明だった金属プレート:2014年に発見された。昭和16年の新聞紙に包まれていたことから、戦争での供出を逃れるために外して隠されていた?
マヤ・インカ文明からのインスピレーションが色濃い部屋。
ベトナム料理。下に練乳が入っているベトナムコーヒー。
大学が京都だった千明 女の上司 ぱるのぷじ
奈良時代、「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」と言っていた。
美和は人に踏み込まない、踏み込んでほしいときも。
 ✏︎ 大阪でも職質される田口トモロヲ。やっぱり関西弁はイイ!砂糖の代わりに練乳なのかな?いいね、それ。
#03 船場ビルディング&大阪農林会館
城下町だったところ。昔から大阪のビジネスの中心地。
船場ビルディング↓
オフィスと住居を兼ね備えた建物として、1925(大正14)年に村上徹一(てついち)の設計により建てられる。ところどころ、アールデコの様式が見られるが全体としてはあっさりとした印象。
パティオのような中庭。木のレンガ(木レンガ(もくレンガ):消音効果)が敷き詰められた地面。ロ(ろ)の字型の回廊。
当時、荷馬車を引き込めるようにスロープ状につくられた玄関ホール。
地下。メゾネット形式など。
緑の窓枠・扉・手すり。
——— 大阪農林会館↓
1930年に三菱合資地所部の設計により建てられる。旧三菱商事の大阪支店だったビル。
今でも稼働しているシンボルの柱時計は、各階のエレベーターホールにある時計と連動している。
戦争で真鍮は接収(せっしゅう)されたので、手すりのデザイン部分は穴になってしまっている。
「郵便差入口」。
型押しした薄い鉄板を貼りつけ、その上から塗装した天井(当時は鉄を貼ることで火の回りが遅くなると言われていたため。)。
他人より、自分に勝ちたい。
聴きたくない人には最初から、聴かない。
#04 日本銀行大阪支店 旧館&大阪ガスビルディング
日本銀行大阪支店 旧館↓
明治36(1903)年に、辰野金吾の設計により建てられる。
辰野金吾が活躍した明治・大正時代は、日本が急速に西洋化していった頃。日本銀行本店も彼の設計。「日本の近代建築の父」といわれる。
ヨーロッパの古典主義を取り入れたドーム型の屋根。
玄関ポーチ:角柱(かく-)と丸柱を用いて、重厚なイオニア式柱頭(ちゅうとう)飾り。
貴賓室:ドーム型屋根の真下に位置する。建築当時の部材を再利用しながら復元している。壁面彫刻や梁、淡色のステンドグラスやマントルピースは100年以上前の建築当時のまま。
日銀マーク。
階段は柱ではなく、美しい弧を描くアーチで重量を分散させている。
御堂筋に面したバルコニー:当時の御堂筋は1926年に拡幅(かくふく)工事が始まり、道幅は6mから44mへ。地下鉄も同時に開発された。
——— ↓大阪ガスビルディング
1933年に、大阪を中心に活躍した安井武雄の設計により建てられた。大阪ガスの本社として建てられ、今も使われている。
モダニズム建築とされているが、曲線がうまく使われていて無機質な印象がない。
ガラスのR(アール)。
完成した1933年は、御堂筋の拡張工事が進み地下鉄が開通した年。
戦争の影響でガスビルが黒くなっている写真。空襲の標的になりにくくするために、外装をコールタールによって真っ黒に迷彩塗装した。
ガスビル食堂:アール・デコを思わせる内装と、大きく開かれたガラス窓の展望。御堂筋沿いの建物はずっと、高さ100尺(31m)の高さ制限があったため、昔は大阪城も見えた。しかし、1955年に緩和され50mに、2014年の再緩和で100mを超えても良くなった。
#05 神戸女学院
3浪 自分で環境を作った クローバー探し
1933年に、アメリカの建築家W. M. ヴォーリズ(ウィリアム・メレル・-)の設計によって建てられた。
1875(明治8)年に2人のアメリカ人の女性宣教師によって設立された神戸女学院。1933(昭和8)年に現在の地に移転された。
建築様式はスパニッシュ・ミッション・スタイル。
中庭を取り囲む回廊で繋がれた4つの建物。東の文学館。南の図書館本館。西の理学館。北の総務館。
北側の図書館:書物が紫外線で傷まないように、北側に向けて展示されている。アラベスク文様の天井。大きなアーチ型の窓は、どうしても暗くなってしまう北向きの部屋のために反射光を取り込む。机と椅子は昭和8年当時のままの物。
総務館:正面のステンドグラスは、外からの光をそのまま入れるようになっている。クローバーのマークは校章。学内の様々な場所に校章であるクローバーがあしらわれている。 講堂。舞台は半円形のプロセニアムアーチ。植物のモチーフが多い。(聖書に出てくるようなものをモチーフにしていると言われている。)
ソールチャペル:聖書に記された7つの燭台にちなんで、7つのロウソクのステンドグラス。
当時の技術では同じ色を揃えるのが難しかったため、色がバラバラの瓦。
四つ葉のクローバーの噴水⛲️
母という意味の由来
 ✏︎ 色がバラバラの瓦も、遠くから見ると綺麗だね。
#06 大阪市中央公会堂&大阪府立中之島図書館
大阪市中央公会堂↓
1918(大正7)年に、コンペで勝ち残った岡田信一郎の設計案を基に、辰野金吾と片岡安(やすし)が仕上げた。
ネオ・ルネッサンス様式の外観。
岩本栄之助(えいのすけ)の寄付により建設された。
栄之助は、明治39年、29歳のときに家督(かとく)を継いで株式仲買人となった。父親の遺産50万円に手持ちの資産を合わせた150万円(現在の価値で言うと数十億円)を大阪市に寄付。
館内には3つの集会所があるが、1、2階の大部分を占めるのが、大集会室。コンサートや演劇、入学式や卒業式、講演会など様々な催しが行われる。
椅子は創建当時の物。椅子裏には大正時代の男性の嗜み(たしなみ)である帽子を掛ける帽子掛けが。
小集会室:当初は「昼食堂」という名前だった。刺繍の施された鮮やかなタペストリー、窓際の上の果物カゴのステンドグラス。
中集会室:宮殿の大広間を思わせる空間。シャンデリアは当初のまま。窓際の上には、南北それぞれに、大阪の港を連想させるステンドグラスが並ぶ。
特別室:当初は貴賓室として使われていた。天井には、日本神話から題材をとった「天地開闢(かいびゃく)」が描かれている。
南北の壁面にはスサノオノミコトと太玉命(フトダマノミコト)が描かれている。
西側の上の絵は、仁徳天皇(にんとく-)。
東の窓には、鳳凰(ほうおう)と大阪の市章である"みおつくし"(水路標)の大きなステンドグラス。丸いガラスがたくさん散りばめられている。ガラスは、外側が凸レンズになっているので、近くへ寄ると外の景色が反転して見える。外からの光を拡散させる効果もある。
——— ↓大阪府立中之島図書館
1904年に、野口孫市(まごいち)の設計により建てられる。
 ✏︎ たしかに朝の香りって好きだったなあ。今は感じることもなくなってしまったなぁ… なんでだろ。
中央公会堂は、イルミネーション「OSAKA光のルネサンス」を観に、外観だけ見たことある。大阪市内なら行ける〜、中之島図書館とか絶対行こ。

▪️2022年8月31日〜9月27日 鑑賞