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にじいろカルテのkoheiのレビュー・感想・評価

にじいろカルテ(2021年製作のドラマ)
4.6
①なんといっても高畑充希、高畑充希の高畑充希らしさ、高畑充希力が最高に温かい空気感を醸し出している。そんな高畑充希演じるあるとき難病を抱えてしまった内科医の先生が、天使みたいにいい人しか住んでない岡田脚本的世界観の「虹ノ村」へやってきて、診療所で勤務するまで。まわりのキャストもびっくりするくらいよくて、うわぁ安達祐実出てる!うわぁ眞島秀和!うわぁ水野美紀も西田尚美も出てる!と序盤からうれしくなってしまった。
競争社会から抜け出たようなユートピア的共同体を描きながら、ところどころで垣間見える登場人物たちの社会不適合者感、村の過疎化、「奨学金を返さないと」というセリフ。難病を前に「働きたい」という主人公・真空の、なぜ母親に黙ってまで働き続けようとするのかという理由が曖昧になっていて、それは最終話までの焦点になるだろうか。とにかくほのぼのした世界観を求めているので、あんな小さな村なんだから毎回医療ドラマを繰り広げなくてももっと日常・生活を描いてほしい気もするけど、さすがにゴールデン帯のドラマでそうはいかないか…。

②人間が生きていくには、ケアし、ケアされることが必要だ。医師にだって看護師にだって「ケアされる」ことが必要で、逆に医療従事者でない一般人も他者を「ケアする」ことを意識して生きていかなければいけない。その相互作用がないと私たちは生を営んでいけないほど、実は弱い生き物なのだから。
そういうことを、岡田惠和は近作でずっと描いているんだと思う。『姉ちゃんの恋人』も、お互いに過去にトラウマをもつ桃子と真人が手を取り合って生きていくドラマだった。だから本作のヒロインが「医師」であり「病人」でもあるというのは、岡田惠和がとうとう真正面からそのことを描きにきた意思の現れなのである。
そして誰もがケアの主体であるためには、「〜のくせに」という差別や「〜なのに」という遠慮はまったく邪魔なもの。ということが第二話の主題だと思う。

#8『ケアするのは誰か?』ケア軽視と自己責任論 - 元気が足りないラジオ
https://open.spotify.com/episode/3SkNWBbfuKVfHYcoOmhJpj?si=ME96HMlRS0acVS2FK4tKHA

③「人が話し出す場」を生み出すことで、誰もがケア主体となれる世界を形成する岡田脚本。終盤の佐和子さんの電話シーンが白眉。「元気?」と聞いてくれる人がいて、「元気じゃないけど、あなたのおかげでいま元気になりました」と本音で言える、そんな関係性がひとつあるだけでどれだけ生きるのが楽になるか。好きすぎてきた。

⑤確かに岡田脚本はある種の特殊な悩みを抱えた人物ばかり描いてきた気もするが、いわゆる普通の人、具体化すれば“スペックのない男性”だって描けるんだぞ!という矜持をみた。そこにある葛藤ってあんがいミソジニーとかにもつながる根深いものだもんね、たぶん。ただ普通の人なんてこの世には存在しないわけで。正しくスポットライトを当てられることによって、その人らしさが見えてくる。
あと言葉の癖がうつるあたりの描写よかった。
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