わっしょい

すずめの戸締まりのわっしょいのネタバレレビュー・内容・結末

すずめの戸締まり(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

決して癒えることの無い悲しみ。

非常に観るのが辛い映画だった。
映画を観たというよりも、自分や日本国民が抱えた悲しい記憶と向き合ったという感覚。

2011年3月11日
当時の自分は、自分や親戚が東北に住んでいた訳でもなく、状況を理解しきれていない子どもだった。
それでも周囲の大人を見て、「何かとんでもないことが起こっているな」と感じて、本能的に命を守ろうと動いていた記憶がある。
携帯電話も持っていない頃で、両親が仕事で家におらず、学校から持って帰った防災頭巾を被って、弟の手を引きながら祖父母の家に歩いて避難しにいった。
祖父母が迎えてくれた時に、自分と弟は助かったのだと、心の底から安心した。

その後、東北の被害状況が分かってきた頃、そこまで大きな揺れにもあってないし、家が壊れてもいない、家族や親戚にもすぐに会えたのに、とても不安になっていた自分が恥ずかしくなったのを思い出した。
そうして相対的に見て、自分は被災者ではないと思い込んでいたし、信じ切っていた。

それでも、この映画を観た時に凄く悲しくて、辛くて、どうしようもない虚無感に苛まれた。
同時に、「ああ、自分も被災者の1人なんだな」と痛感した。
現地で被災した人の前では口が裂けても言えないけれど、当時生きていた日本国民全員が被災者なんだなと思った。


劇中の、かつて被災地にあった声を聞くシーンが、本当にしんどかった。
「おはよう」
「いただきます」
「ごちそうさま」
「いってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
「いってきます」
「いってきます」


当時「ただいま」や「おかえり」を言えずに亡くなっていった人が、数えきれないほどいる。
それでも前向きになろうという意味で、ラストシーンの「おかえり」なんだと思う。
けれども、あまりにもそれまでのシーンがしんどすぎて、感動の涙は流せなかった。
ただただ悲しくて、涙が出た。

配布された冊子に、欠けているものがあっても前に進むという意味を込めて、最後まで椅子の足を3本のままにした、と書かれていた。
その通りだと思う。
けれども、どうしようもなく観るのが辛い。

自分は、どんなに頭空っぽで観ても、何かを感じさせたり考えさせてくれるような、ビターな作品が好きだった。
この作品も、強制的に何かを感じさせるパワーを持ったものであったと思う。
それは、ここ数十年の日本で最も大きな絶望を直接的に扱っているからで、どう転んでも映画の中身というより、実際に経験した過去と向き合う気持ちになってしまう。
そして、ただただ悲しかった。

多くの人にとっては、物語の結末通りに前向きになれる映画であって欲しいと思う。
わっしょい

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