耶馬英彦

魂のまなざしの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

魂のまなざし(2020年製作の映画)
4.0
 フィンランド共和国は人口550万人の小さな国だが、国連が発表している幸福度ランキングはこの5年連続で第1位である。民主主義社会の成熟度、教育文化レベル、福祉の充実度などがいずれも高評価となっている。日本の成績は論外なのでここでは触れない。
 幸福度ランキングが1位だからといって、映画が幸せ物語ばかりということはない。人間は不条理な存在だから、問題がなくなる訳ではないのだ。人間の本質や人生のありようを描くのが映画だとしたら、現在のフィンランドにも描くべき題材はある筈だ。

 という勝手な考察とは裏腹に、本作品は現代の話ではなく、19世紀後半に生まれた画家の物語である。女性であることだけで理不尽なパラダイムにさらされる時代だ。主人公が男性だったらテーマは違っていたかもしれない。
 男がいくつになっても夢見る3歳児であるように、女性はいくつになっても恋に憧れる乙女のままだ。方向の違うベクトルは、いつまでも交差することはない。人と人との間には暗くて深い川がある訳だ。エイナルとの淡い恋は、50代の画家に何をもたらしたのだろう。

「写実はとうの昔に捨てた」とヘレンは言う。19世紀後半といえば、写真技術が本格化して、絵画の写実主義に疑問が持たれはじめ、クロード・モネらの印象派の絵画が生まれた時代である。「美人じゃなくても情熱がある」と、その絵を描く動機を説明するが、兄には理解できない。
 当方のような凡人が絵を見てまず思うのは、誰の絵で、どんなタイトルで、値段はいくらなのかということである。実に下世話な疑問だが、そう思ってしまうのだから仕方がない。凡人で悪かった。
 ゴッホやモディリアーニなど、生きているうちは絵が殆ど売れなかった画家に対して、ヘレン・シャルフベックは生きているうちから評価されて、絵が売れた画家である。しかしカネが彼女を幸せにしてくれることはなかったようだ。

 小説家は自分の内面を覗き込み、恥も外聞もかなぐり捨てて、ありのままの魂を描く。身を削るようにして作品を紡ぎ出すのだ。画家にも同じようにして絵を描く人がいるのを、本作品で初めて知った。
 邦題の「魂のまなざし」は、映画にしては珍しく配給会社の発案ではない。2015年に東京芸術大学美術館で開催された「ヘレン・シャルフベック-魂のまなざし」と題された展示会に由来する。ヘレンは自分の魂と向き合いながら描いた。その絵を見る者は、否応なしに画家の魂と向き合うことになる。秀逸な邦題だ。ヘレンの描いた絵を見たいと思った。
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