SPNminaco

TAR/ターのSPNminacoのレビュー・感想・評価

TAR/ター(2022年製作の映画)
-
音楽を理解し、独自の解釈を持つべきだと淀みなく持論を展開するター。では、映画の観客は彼女をどう理解し解釈するか。その意味ではミステリー映画だった。プロット自体は複雑じゃない。余計なものを極力省いて、むき出しのター自身を提示する。
字幕がターの口調をいわゆる男言葉にしてあるのに戸惑った。「限定された解釈」を否定してるのにそこで既に彼女のキャラクター、パーソナリティが方向付けしてしまうのはどうなんだろう。でも確かに低い声でファッションはマニッシュ、パパと名乗るので、自分の中の男性性(ジェンダー自認とは別)を誇示してるように見える。
ターは「私たちは無力だ」と秘書を慰めつつ、虐められた娘や不安になった妻、弱い身内を守ることには力を発揮する。優位だから。だが、病や老いや死といった弱さを極端に恐れ、自分の弱みや隙はないことにする。自ら転んだよりも襲われた(けど負けない)ことにした方がマシだし、ジャッジはするがジャッジされる側になると無力だ。優位性を奪われたら狼狽えて攻撃的になる。それも権力を持つ男にはよくあること。
とはいえ、精神的マチズモもケイト・ブランシェットが演じるとカリスマ性が溢れ出るので、解釈に迷う。バッハもマーラーもベートーヴェンも歴史に名だたる作曲家は男ばかり。ターがその作品に没頭し理解することは、悪しき部分も含めて男を内在化することになるのではなかろうか。絶対的なのは権力というより音楽の力。バーンスタインの鉛筆のように、道具としての男性性。指揮棒もそのシンボル。ならば指揮されて、音楽にマインドコントロールされているのはターではないか。そんな風に思えてくる。
なのに、新人ミューズの登場から失脚への流れは急に陳腐に感じられた。組織に庇ってもらえずあっさり追放されてしまうのは、時代の違いか、女だからか。男は自らのグロテスクさに直面することがあるだろうか。影響が及ばない遠い異国でキャリアを続けるのは、実際あることだけど…。
力の駆け引きは女同士で、男はまるで非力な外野。でも結局、女の話であって女の話じゃない。かといって、『セッション』みたいなマッチョ男の話でもない。じゃあ何なんだ?とモヤモヤさせる映画だった。これがどこか企業のCEOとかだったらまだ違和感ないのだけど。それでも、ニーナ・ホスやノエミ・メルランら豪華アンサンブルとの引き締まった演技の応酬に見応えあり。吹き替えなしの演奏シーンは特に。
SPNminaco

SPNminaco