耶馬英彦

神々の山嶺の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

神々の山嶺(2021年製作の映画)
4.0
「そこに山があるからだ」という言葉(本当は「そこにエベレストがあるからだ」が正しい翻訳らしい)で有名な登山家ジョージ・マロリーの最後の登山の真相に纒わる物語である。
 マロリーはエベレスト登頂に成功したのかしていないのか。「そんなことはどうでもいい」と羽生丈二(はぶじょうじ)は言う。俺たちは準備し、鍛錬して山に登る。成功するかもしれないし、失敗する可能性もある。生きて帰れれば、資金を集めてまた別の山に登る。

 人類の歴史は戦争の歴史だが、冒険の歴史でもある。冒険は登山家や探検家だけではなく、我々の日常生活にも存在する。見たことのないものを見て、歩いたことのない道を歩き、食べたことのないものを食べてみる。初めての体験には不安もあるし、恐怖もある。ときには生理的な嫌悪感もあるだろう。ナマコを最初に食べた人はさぞかし勇気が必要だったに違いない。それでもワクワクする気持ちには逆らえない。

 人は旅に出て見知らぬ土地を歩く。嗅いだことのない匂いが漂っていて心が躍る。こことは違うどこか。いまとは違う別の時間。その時間のその場所に行けば、見えなかった光景が見えてくるかもしれない。逃避かもしれないが挑戦でもある。逃避と挑戦は人間の裏表だ。
 山は登山家を追い詰める。生命を奪うこともある。人が山に登り続けるのは、山に挑戦しているのではない。自分を追い詰めているのだ。恐怖や絶望に打ち勝って、苛酷な試練を生き延びた者だけに見える光景があるのだろう。
「そんなことはどうでもいい」と羽生丈二が言うのは、マロリーがその光景を見たのかどうかが問題であって、山頂に達したかどうかではないという意味だと思う。それはマロリーだけの光景であり、彼自身にしかわからない。そして羽生もまた、彼自身の光景を見るために山に行く。誰とも共有できない光景。説明できないし、写真にも撮れない。

 全編を通じて緊張感があり、人間存在についての洞察もある。息を止めるようにして鑑賞した。アニメとしては出色の作品である。
耶馬英彦

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