Jun潤

神々の山嶺のJun潤のレビュー・感想・評価

神々の山嶺(2021年製作の映画)
3.6
2022.07.13

原作、実写共に未視聴。
夢枕獏と谷口ジローが描いた日本の作品を原作に、フランスがアニメ映画化とくれば、ノるしかない、この予測不能の荒波に。

ヒマラヤ山脈にある世界最高峰の山・エヴェレスト。
その山頂に人類史上初めて至ったのは1953年とされているが、1921年ジョージ・マロリーがすでに登頂しているのではないかと実しやかに囁かれていた。
カメラマンの深町はネパールにてマロリーが遺したというカメラの存在を知るが、カメラはかつて名を馳せた孤高のクライマー・羽生によって持ち去られてしまう。
羽生の現在の消息は不明であり、カメラも本当にマロリーのものなのかはわからない。
しかし特集を組むため、マロリーのカメラの真偽を確かめるため、羽生に会うため、深町は単身調査を開始する。
羽生を知る人物から紡がれる彼の壮絶な“山屋”人生。
それを追っていく中で、羽生は今は亡き天才クライマー・長谷が成し遂げられなかったエヴェレスト南西壁登攀を目指していることを察知した深町はエヴェレストへ向かう。
マロリーは登頂したのか、羽生の目的はなんなのか、深町は何を求めているのか、全ての答えは、エヴェレストだけが知っているー。

いんや、これはいいアニメ映画。
そして熱く心滾る男のロマン。
実は山岳サークル所属経験がある僕も、“山屋”に爪先を突っ込んでいて、羽生や深町の気持ちがなんとなくですがわかります。
登頂の達成感と、下山後の温泉の気持ち良さは何にも変え難い。

マロリーという実在の人物、そして彼がエヴェレスト初登頂なのではないかという歴史ミステリーを紐解いていく中で、羽生という山に取り憑いた、もしくは取り憑かれた1人のクライマーの人生が明らかになっていく。
それは決して平坦なものではなく、一つ一つの経験をクライミングのハーケンのように自分の歩んだ道程を確かに踏み締めたものだった。
自分を慕っていた後輩を亡くし、指も失い、ライバルも失ってなお山に登り続ける。

そんな羽生を追う深町すらも、山を登っているかのように羽生に執着し、ついにはエヴェレストへと至る。
そこまでの動きも、他人から見たら謎であり、もしかしたら当の深町もよくわかっていないのかもしれない。
しかし答えはきっとエヴェレストにあると信じ、羽生の背を追いながら登頂を目指す。
ここの高山病の描写と高く聳える山嶺の作画の交錯がまた素晴らしい。
山にある死に至る危険と神秘的な美しさ、それをアニメーションで表現するという、この作品の意義がこの場面に集約されていたと思います。

実写映画の方は予告をよく目にしていて、岡田くんが叫んでいたイメージでしたがそんな場面はなく、ジャニーズ主演で分かりやすく注目度を上げたかったのかななんていう意図がうっすら見えてきたり。
原作に忠実なのがどちらなのかはわかりませんが、尺や作画から今作の方がテンポ良くスタイリッシュに描かれているのかなと思います。

羽生をはじめとした、山に生きる“山屋”という人種。
彼らは何を求めて山を登るのか、初登頂、スピード、過酷さ、それとも何も求めていないのか。
登頂の景色以外には、登ったという事実しか与えず、これまでに多くの人間を“殺して”してきた霊峰の数々。
それでも山に登る人間は絶えない、そこに何かがあると信じて。
山嶺は、神々が人類に与えた恩恵なのか、それとも、正体の見えない魅力で“山屋”を惹きつけ縛り付ける呪いなのか。

“Because it’s there.”
George Herbert Leigh Mallory
Jun潤

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