Kuuta

バビ・ヤールのKuutaのレビュー・感想・評価

バビ・ヤール(2021年製作の映画)
3.8
ナチスが「解放」したキーウ。右から左へ行進させられる人々。轟音、爆発、死体の山。今度はソ連による「解放」。反対方向へ歩かされる人々。轟音、爆発、死体の山。

シンメトリックな「反復」と「往復」。行進する群衆と、それを見つめる人の目線。大国の中継地点として領土が何度も塗り替えられてきたウクライナの歴史、彼らの背負う徒労感、ある種の諦念が伝わってきた。もしかしたら、傍観しかできない私が、無力さから勝手に感じたことかもしれないが。

彼らは一方的な被害者ではない。目前の暴力に加害の歴史をない混ぜにしつつ、バビヤールには死が堆積する。画面には泥沼が現れる。「ドンバス」もラストで嘘の再生産の光景が捉えられ、底なし沼のような重苦しさを感じた事を思い出した。

今作だとフィーチャーされていなかったが、埋められた谷の周辺には団地が建てられ、多くの人が普通に生活している。ここがアウシュビッツと決定的に違う点だ。1日の死者数としては最悪のホロコーストでありながら、加害の記憶の継承は難航している。

(今作は、建設中のホロコーストメモリアルセンターでの上映を念頭とした動画製作からスタートしている。同センターの出資にはロシア関係者も多く関わっているため、内容そのものに加えて、製作の経緯に対して批判が起きているようだ)

ウクライナ国内の反発を招きながらも、ロズ二ツァが徹底するのは、悲劇の前後を被害/加害の対立で断絶させない歴史の描き方だ。翻って日本を考えた時、1945年8月を軸に、戦前/戦後を連続させて語ることは出来るだろうか。シンメトリックに歴史を見つめることは出来るだろうか。このロズニツァの姿勢は素晴らしいと思った。

リヒター展の帰りに鑑賞したこともあり、「ホロコーストは体験者以外に表象しうるか」というお馴染みの問題についても考えながら見ていた。今作は原題が示すように、バビヤールにまつわる「文脈」にスポットが当てられている。当日の映像は残っておらず、生存者の体験談のみが、その生々しさを描写する。ホロコーストは語り得ないという一線は保ったまま、悲劇を起点にバビヤールの因縁を解きほぐす。その試みは成功しているように思える。76点。
Kuuta

Kuuta