ハル

ケイコ 目を澄ませてのハルのレビュー・感想・評価

ケイコ 目を澄ませて(2022年製作の映画)
4.2
東京国際映画祭にて、三宅監督によるQ&A付き。

間違いなく“岸井ゆきの”の代表作。
デジタル全盛の今、16mmフィルムでの撮影という部分にまず惹かれた。
ブラウン管テレビだった時代、居間に集まり大好きな番組を楽しみに見ていた頃のような感覚が込み上げてくる。
古いはずなのに新しく感じる不思議さ、nostalgia for lost times。

では物語の内容について、ボクシングと難聴者という2つの大きなテーマを取り扱っている本作だが、まずボクシングへのこだわりが半端ない。
ミット打ちから始まり、ダッキングにウィービング、ブロッキングやパーリングなどのディフェンスまで。
練習一つ切り取ってもあらゆる点がリアル。
これを1から作り上げた熱量、命を削って行っていた事が伺える。

実際に岸井ゆきの本人から「18.9日の撮影だったけどそれ以上は心身が持たなかった」という話が監督との間であったそう。
縄跳びやって、ランニングして、パンチングボールやって。
日本で最も古いジムという事もあり、趣を感じられる空気の重みが際立つ。

胸にジーンと来る瞬間は会長がケイコについて話していたインタビュー
「目が良いけど、耳が聴こえないのは致命的。
身体が小さくリーチもない、フットワークすら…ただ、彼女は人としての器量が大きい。だからこそ、率直に素直にやれる」
インタビュー中の語り口調が父親のように優しく三浦友和さんのキャリア、彼女を思う気持ちと包容力がそのまま現れていた様に感じられた。
身体能力的に優れている点は少ないケイコだけど、人の話をしっかり聴いて毎日繰り返せる強さ。
こういう人は簡単には折れない。

加えて、岸井ゆきのが見せる表情一つ仕草一つで、ケイコという人物の人となりが伝わってくる点からは役者としてどんな思いで撮影に臨んだのか、その覚悟が見て取れる。
主演、助役と様々な役柄をこなしてきた彼女の芝居には強烈な説得力が存在していた。

また、コロナ禍での設定ということで学びになった点も。
警官が夜の川辺で一人佇んでいたケイコに話しかけるシーン。マスクをしている為、何を言っているのかケイコは全くわからないんだけど、皆がマスクをしている世界線では“唇を読む”事が出来ないよね。
こうした時代的背景もコミュニケーションが取り辛い現状を如実に表し、生活そのものを困難にさせてしまっている現実。
自分の普通が“普通”ではないという事実にハッとさせられた一幕。
忘れてはいけない“当たり前”を教示された瞬間、気付きに感謝。

この作品、特別な何かが起こるわけではない。
さして強くも、ましてや天才でもない一人の女性が毎日トレーニングをして試合に挑む描写の数々。
トレーニングの映像が繰り返し流れ、それを何度も観ていると、どれだけ彼女が継続して過酷なトレーニングを行っているのか、その心情と想いにリンクしていく。
そうなったらもう作品の虜。
まだ日も昇りきらない朝早くからランニング、練習→仕事→練習→練習。
なんてことのない日々の価値と儚さが積み重ねによって絶対的に定義される瞬間。
エンドロールと共に流れる風景を眺めていると、見慣れた東京の街並みが宝石の様にキラキラしていて、こんな情緒が内在する場所に住んでいたんだな〜と琴線に触れてきた。
流れのまま終わりゆく余韻の深さがどこまでも果てしなく。
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