TartarsauceX

PLAN 75のTartarsauceXのレビュー・感想・評価

PLAN 75(2022年製作の映画)
4.5
ずっと気になっていた映画。今回の飛行機は本を読もうと思って映画は観ないつもりだったのに、ふらっとラインナップを確認した時に発見してしまって思わず鑑賞。
75歳以上になると安楽死を制度的に選べるようになった日本のお話。倍賞千恵子演じるミチが高齢になり、仕事を解雇されるところから物語が始まる。

この世界では75歳になってもおそらく年金が貰えておらず、家族がいないミチは職を求めて路頭に迷う。その様も見ていてとても苦しい。雇用関係を結ばなくてはいけないということはつまり、労働を提供しなければならないということ。ミチが78年生きてきて、培ってきたものはきっと多いはずなのに、それを測る尺度があまりにも限られていて、単一的な物差しで「何ができるか」を問われ続けている姿は見ていて心苦しい。一方、唐突な解雇、難を極める職探しを通して、社会から「自分は不要である」と言われているような圧を感じて、酷い無力感、寂しさも同時に感じる。

制度とは一体なんなのだろう。
世の中に選択肢を提供する一助であるはずが、「利用しなくてはいけない空気」や「推し進める影」があって、75歳以上の安楽死はただの選択肢ではなく「推奨」されているもののように感じる。政治も政策も中立的なものであり得るはずがなくて、必ず誰かの声が反映されて実現される。「75歳以上は安楽死する選択肢が必要である」というのは誰の声なのか。どんな顔をして言っているのか。

田舎で、75歳以上の大好きな人たちに囲まれている身としては、それが(少なくともこのフィクションの中における)社会の中でマジョリティとして発されていることは苦しいし、悲しい。彼らは共同体の中に生きる個として、深く力強く愛する力を確かに育んできているし、偉大なる智慧を培ってきている。それらは、(今はまだ)若い僕らにはまだまだ到底持てないものだと強く思う。

若者が圧迫されているという声も理解はできる。でもここに二者を分断する線を引くべきなのだろうか。生かし合う世界をつくる手立てはないのだろうか。

「自らの命が始まる瞬間を選ぶことはできないが、自らの命を終える瞬間は選ぶことができる」とPLAN75のCMが言う。「個体」としては事実だが、「社会的な生き物」としては、そうではないように思う。
自分という人間が死ぬことを、本当に納得してもらって逝かせてもらえることなんてあるんだろうか。(そう思えるようになったのは幸せなことだとも思う、が、しかし。)

人は繋がっていたいし、繋がりを感じられなくなった時に死を望む生き物なのだろう。

そして、命の自由について。

何人もの人が同じように死んでいく姿は、何者かの意図によって殺されていることを彷彿させる。それをたとえ彼らが望んでいたとしても。命は、個体で完結できない社会的な生き物の中にある。だが同時に自由も望んでいるのだろう。きっと誰も殺されることは望んでいない。自分なりの死に様を、生き様としたいんじゃないだろうか。

少なくとも、人間は。
TartarsauceX

TartarsauceX