ベルベー

ザ・ホエールのベルベーのネタバレレビュー・内容・結末

ザ・ホエール(2022年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

めっっちゃ完成度高い映画だと思うけど、しんどかった。家の中から出られない、最早出る気すらない余命僅かな肥満男の最後の日々。彼がいる狭く汚いアパートの作り込みと映し方。観客は男と視点を共有させられ、否が応でも男のどん詰まりの日常を追体験させられる。ドアの向こうの日光や雨、それが男にどう見えているのかまで。だから神経が参っちゃった。アロノフスキーだわ。

主人公のチャーリーという男、彼が後悔している過去から現在に至るまでとても自分本位で全く褒められた人間ではない。別れた家族への接し方も、気遣ってくれるリズへの接し方もよろしくない。親しい人達に緩慢な自殺を見届けてくれ、と言っているようなものだからね。「すまない」が口癖になっているのは彼が自分勝手さを自覚しているから。でもその生き方を今更変えることもできない。

そんな身勝手な男の最期の5日間を観て何を見出すかは観客に委ねられている気がする。色々な見方があると思いますが、私は「何を信じるか、何に救われるかは自分で決められる」と解釈した。正直にしか生きられなかったチャーリーが行き着いた答えはこれじゃないかって。

チャーリーは、疎遠になった娘の非行をポジティブに捉える。「白鯨」のエッセイを書いた時のように正直なだけだと、そして正直であることこそ何より尊いのだと。しかし客観的に見れば娘はどう考えても超グレていて、別れた妻の言う通り「邪悪」に近い。エセ宣教師の盗みを暴露して救ってあげたんだ、とチャーリーは感動するが、そんな親切心でやっているはずがないのだ。娘の行動には悪意がある。父親に対しても。勿論、それが全てではないのだけれど。

でも、チャーリーは娘を信じることで救われたのだ。自分は正しいことをしたのだという満足感を抱いて死ぬことができた。自己満足である。しかし、詰まるところ人生は自己満足ではないか。信じたいものを信じ、救われたいように救われて良い。遺される娘は、元妻は、リズはどうなるのだとも思う。チャーリーの行動は利他的ではない。でも作り手達はそこの賛否を問うつもりはないんじゃないかな。

そもそもアロノフスキー、善人を描くことには興味がないのはフィルモグラフィーを振り返っても明らかで。本作が一番近いのは「レスラー」だと思うが、あれのミッキー・ロークも慕われつつ私生活はダメダメな男の悲哀だったし。善くあることができない人間の性、その絶望と希望にこそ重きをおいている監督でしょう。

あとは宗教との向き合い方。チャーリーが信じるものを自分で決めたことは、本作で描かれる宗教とは対照的。エセ宣教師は「同性愛は悪」「神を信じれば救われる」としつこく宣う。その傲慢さに対する批判が為されていることは間違いないでしょう。なぜ宗教が善悪を決めるのだ。救われる対象を決めるのだ。そんな怒りが垣間見える。

「ノア 約束の舟」「マザー!」では宗教に思うところが明後日の方向に出力されていたアロノフスキーだけど、今回はサミュエル・D・ハンターの舞台劇が原作ということで適当な距離感を保てている気がしたな。というか、別の人が書いた物語なのに今までのアロノフスキー作品とテーマがとても近くて興味深かった。

キャストについてはまずブレンダン・フレイザーですよね。「ハムナプトラ」好きだからカムバックに感動。270キロの巨体に扮しているけど、彼のトレードマークである大きな瞳が、物凄く効果的に作用していると思いました。

でも彼以外のキャストも全員名演だったな。父親が家族を捨てたことによって複雑に捻じ曲がってしまった娘役のセイディー・シンク、チャーリーと喪失感を共有するリズ役のホン・チャウ、一々ウザいエセ宣教師のタイ・シンプキンス。出番は僅かだけど別れた妻役のサマンサ・モートンも流石の存在感でした。リモート越しの学生やピザの配達員に至るまで見事。彼等のリアクションがあるからチャーリーの物語が引き立つ。

音楽も良い。全部が良くできた映画だけど精神的に余裕がある時じゃないと観るの辛いかな…。
ベルベー

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