崇高というのは、身分でも、学歴でも、家柄でも、裕福さでもない、ということがわかる映画。
日本の詩歌とは違う西洋の詩の物語なので、多少、文化の違いはありますが、主人公マリオは文字は読めるからどうにか郵便配達の仕事を得るけれど、読むのは早くはない、という程度。
しかし、郵便配達といってもチリからイタリアの小島に亡命してきたノーベル文学賞候補にもなるような有名な詩人のところだけの郵便配達。
サインをもらうために詩の本を買ったことから、文字に、詩に興味を持つようになるマリオ。
漁師の息子で決して身分は高くないけれど、チリの詩人はだんだんとマリオに詩の手ほどきをするようになる。
文字に、文学に、詩にが高尚なのではなく、無学に近いマリオがだんだんと詩の力をつけていくところが高尚なんですね。
恋をすると飛躍的に詩がわきあがったり、今まで気にもしなかった島の自然に目を向けるようになったり・・・・・・ついには島一番の美人と血痕までして上手くいくように思えたとき、詩人がチリに帰れることになり、詩人は去ってしまう。
勉強というと変だけれども、なにかと出会い、学び、力をつけていくにはやはりアシストというのが必要で、詩人は高飛車になることなくマリオに接するのもいい雰囲気でした。
チリに帰ってしまった詩人はイタリアの小島に滞在していた時の人々など忘れてしまったのでしょうか。
詩に目覚めたマリオは、詩人を夢見るようになりますが、上手くいくでしぇおうか。
地味な映画かもしれないのですが、学ぶということの大切さを丁寧にすくいあげた映画であり、余韻を残す映画でもありました。