たい

さかなのこのたいのネタバレレビュー・内容・結末

さかなのこ(2022年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

【全体的な感想】
久しぶりにものすごく良い邦画だった。
さかなクンの自伝的映画かと思って観たら、実際は「ミー坊」という主人公のストーリーだった。
面白いのは、さかなクンが「ギョギョおじさん」という無職のおじさんとして出演していることで、さかなクンの帽子の中を観られるというだけでも価値があると思う。

全体を通じてとてもコミカルに脚色されていて、全然飽きなかった。でも、この映画のすごいところは、ずっと笑って観ていたのに何故だか分からないけどとても感動するところだと思う。自分で理解できない感動というのがとても新鮮な体験で、本当にすごい映画だなと感じた。
見終わったあと心が軽くなった。

【映画を観て考えたこと】
多分、映画を観て嫌悪感を抱いたり、イライラしたり、嫌な気持ちになる人がいたと思う。でもそれは、正しいか正しくないかは置いておいて、「社会の中で生きていくためにはこうしなければならない」と知らず知らず自分を縛っているからではないかと感じた。他人に怒りを感じるのは、自分が守っているルールをその人が破ったときだからだ。

日本人は「因果応報」という言葉があるように、行為が結果に結びつくと過剰に思い込んでいるところがある。この認知バイアスのことを「公正世界仮説」という。このため、社会的に「正しい行い」とされることから外れるとその人を叩いたりバカにしたりする傾向がある。でも、これが監視の目になり、社会の秩序を保っている。
僕自身、ミー坊がお魚博士になりたいのに勉強をしないということについて、苛立つような気持ちになった。

【なぜこの映画は感動するのか】
ミー坊は、他人の気持ちが分からない。でもだからこそ、ミー坊は社会の監視の目に鈍感で、「普通」を打ち破っていく力がある。

「好きに勝ることはない」というのは、本当にその通りだと思う。
でも、この映画では、好きなことを追い続けるだけでいいとか、そういうようなことは言っていない。その証拠にミー坊のもう一つの結末であるギョギョおじさんは最終的にホームレスになってしまっている。
実際、生きていくためには嫌なことにも耐えなければいけないし、僕にはミー坊のようにはできない。でも、この映画を観ている間はそのことを忘れて一緒に笑うことができる。

全体的な構図として、さかなのことだけを追い続けている「ギョギョおじさん」、「ミー坊」と社会からはみ出さないように自分を抑制している「普通の人」という対比構造になっている。

そして、観ている自分自身も「普通の人」の一人で、これまで色んな嫌なことを我慢して生きてきたし、これからも生きていかなければいけない。その個人的な人生の背景がこの映画を観て感動させるのだろうなと感じた。

的はずれかも。もう一度観たいなぁ。

【疑問】
モモコと娘が家を出た時、ミー坊は「2人が出ていったこと」ではなく「クレヨンをプレゼントできなかったこと」を悲しんでいるのかなと思ったけどあまり自信が持てない。

【その他】
映像の撮り方がものすごく上手いのも、映画に惹き込ませるのに一役買っていたと思う。
エンディングの『夢のはなし』もすごく良かった。
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