波際最終少年

ぼくらのよあけの波際最終少年のレビュー・感想・評価

ぼくらのよあけ(2022年製作の映画)
4.0
Filmarks招待で完成披露試写会に参加させて頂きました。
原作発売当時から大好きな作品です。これがもしアニメ映画になったらすごいんじゃないか…と妄想していたので、まさか現実になるとは思いもしませんでした。本当に嬉しいかぎりですし、貴重な機会を頂けたことに感謝を申し上げます。
試写会参加者のうち原作読者の割合が少なめだったように見受けられたので、せっかくですので原作との関係性を絡めた観点からレビューを書かせて頂きます。


本作は「団地発、宇宙行き」というコピーのとおり、団地というローカルなコミュニティで生まれる物語と、果てしない宇宙で生まれる物語を繋ぐ、SFアニメ映画です。
公開されているビジュアルや設定などを見ると、実は原作から明らかに変わっている点が多々あります。なぜ時代設定が2038年から2049年に変わったのか。なぜナナコのデザインが変わったのか。なぜ阿佐ヶ谷団地は工事中なのか。など。それらが示すメッセージは、映画が進んでいくにつれて明らかになっていきます。
舞台挨拶で黒川監督が「原作を読んだときの自分の感動した気持ちを信じて制作をすれば、この作品はよいものになるんじゃないか」と話されていましたが、その言葉どおりの想いが伝わってきます。原作には今井先生の筆致ならではの魅力もありますが、2022年に公開されるアニメ映画としての魅力は、本作でこそ味わえるものです。そもそも「ぼくらのよあけ」という作品のテーマを考えてみると、映画という形をとることによってこそ輝く側面があることに気づかされます。
もちろん、泣く泣くカットされたであろうシーンも多数ありました。劇場ではじめて見る場合、ストーリーテリングの観点からは説明の過不足が気になるところがあるかもしれません。
それでもなお、「二月の黎明号」が見せてくれる人知を超えた壮大な景色、鮮やかに描かれる阿佐ヶ谷団地周辺の風景、そこで生活する人たちの姿、それらを映像として体験できることは、本作の大きな魅力のひとつです。クライマックスを経て、主題歌「いつしか」をバックに流れていくスタッフロールを見ていると、見慣れた形式のスタッフロールというものが、とても輝いて見えます。
「ぼくらのよあけ」のテーマには映画という形でこそ輝く側面がある、と書きました。2011年の漫画が2022年に映画化されたという事実も、そこに光を当てます。映画が先でも、漫画が先でも、どちらでもよいかと思います。そのふたつが「ぼくらのよあけ」という作品として繋がっていること自体が大切なことであり、受け手になにかを伝えてくれることであるはずです。原作漫画は電子書籍でも読めますし、書籍としての再販も予定されているそうなので、ぜひ併せて楽しんで頂きたいと思います。



補足として、個人的な話になりますが、私は小学校から大学卒業まで、阿佐ヶ谷団地の近くに住んでいました。悠真たちと同じく団地に住んでいた友達と一緒に、あの広場や校庭や川沿いで遊んでいた、いつかの子どものひとりです。団地が少しずつ暗くなっていき、フェンスが建てられ、解体が進んでいく様子を見てきました。仕事の関係で都外に数年住み、戻ってきた頃にはもう、今のマンションが完成していました。風景はだいぶ変わってしまい、正直寂しい気持ちもありました。しかし、マンションに隣接する公園から聞こえる親子たちの姿を見たとき、そこに昔の自分たちの姿が重なって、自分は自分の記憶を大切にしていこうと思ったことがあります。
東京は忙しなく変化していく街であり、どこか遠くに羽ばたいていくものも、どこか遠くからやってくるものも、そこで生まれて受け継がれるものも、無数にあるのだと思います。それらは、ある時代や場所をきっかけに繋がっていくものです。
公式サイトにもあるとおり、「ぼくらのよあけ」はまさしく「誰かと出会い、繋がり、知る。その痛みと喜びを描いた、感動のSFアニメーション」です。年齢を問わず多くの人がこの作品に出会い、それぞれの未来に繋いでいってくれることを願っています。