きよ

ザリガニの鳴くところのきよのレビュー・感想・評価

ザリガニの鳴くところ(2022年製作の映画)
4.5
「彼女は湿地の生き物」であり「彼女を取り巻く人も環境も全て自然の一部」。
一つ一つの描写や台詞を思い出すたび、この結論に結びつくのが面白い。

カイアの残した日記に、鳥や虫、その他湿地の生き物たちと全く同じように、チェイスが描かれていたこと。鳥の羽や貝殻と同じように、彼の持ち物を収集していたこと。カイアはチェイスを人としてではなく、1生物として見ていた。なぜなら他ならぬ彼女自身が「湿地の1生物」であるからだ。作中の言葉を借りるなら、「生きるのに懸命」なのである。

そして、彼女はおそらく自らの罪に全く罪悪感を抱いてない。でもそれに対してサイコパス的な、気味悪さや嫌悪感はない。それは自然と共存してきた特殊なバックグラウンドがあってこそ、その超自然主義な思想が、腑に落ちてしまう。

カイアは「自然/本能」の象徴だったのに対し、生涯添い遂げたテイトは「文明/理性」の象徴にも思えた。相手を想ってセックスを止めたり、生活のために本の出版を勧めたり、学問や職種で高みを目指したり。カイアが目視で観察・記録する作家であった一方、テイトは自然物を採取しデータを取る研究者であった。唯一無二の理解者でありながら、同時に対極的な存在であったように思う。

これは本当に犯罪なのか、自然界の現象の一つではないのかと思わされる。倫理観が狂わされるような、そんな危うさがある。
そして多くを語りすぎず、感じ取らせようとする余白感が心地良かった。
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