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ヨーロッパ新世紀のnetfilmsのレビュー・感想・評価

ヨーロッパ新世紀(2022年製作の映画)
4.3
 クリスティアン・ムンジウの映画はフィルムの質感が見事に乾き切っている。何と言うか東欧のどん詰まりがそうさせているのかもしれないが、クリスティアン・ムンジウはルーマニアの美しさよりも汚れ切ったこの村のリアルを切々と切り取ることに特化する。冒頭のシークエンスの意味が難しいのだが最初の場面は出稼ぎ先のドイツで暴力沙汰を起こし、ルーマニア・トランシルヴァニア地方の村にマティアス(マリン・グリゴーレ)は舞い戻って来る。だが突然帰り、混乱させるなど妻との関係はすっかり冷めきっている。森でのある出来事をきっかけに話すことができなくなった幼い息子ルディ、そして脳の重い障害で衰弱した高齢の父への接し方にも戸惑っている。極端な緊張状態にある主人公は、やがて元恋人のシーラ(ユディット・スターテ)の元へ夜な夜な通い詰める。冒頭の字幕の色分けの説明にもあったように、今作には住人によって公用語がまったく異なっている。それはこの村がルーマニア語とハンガリー語、少数のドイツ語に英語を話す多様な住民で成り立つ村だからだ。彼らは皆マルチリンガルで、各々はそれぞれの民族ごとの区分けを簡単に越境する。トランシルヴァニア地方は数百年前の歴史の名残りでルーマニアにおいてハンガリー人が多い地方として知られ、そこには2世紀前にドイツ人によって奴隷として連れて来られたロマ(昔のジプシーだが今は差別用語)の人々もいる。

 そんなある日、シーラが責任者を務める地元のパン工場が、スリランカからの外国人労働者を迎え入れる。村の主要産業だった炭鉱が数年前に閉鎖され、炭鉱跡の荒涼とした風景が主人公の背景に何度も映し出される。経済的な活気が失われたこの村では村の働き手はより良い報酬を求めて、東欧ではなく西欧へと出稼ぎに行く。それはフィリピンやタイや中国などのアジア人を働き手としたかつての日本と状況は同じではないだろうか?優秀な労働者はもはや中国や韓国へ出稼ぎ先を変え、日本のコンビニではスリランカ人やバングラディシュ人らが働く。この村の唯一の働き先であるパン工場におけるスリランカ人の雇用は、崩壊への序章となる。今作が提示するのはわかり易く言えばケン・ローチやダルデンヌ兄弟のような移民・難民アプローチなのだが、東欧代表のクリスティアン・ムンジウの気配はそれだけに留まらない。村のSNSであるコミュニティ・フォーラムにあることないこと書きつける社会は、決して我々とも無縁ではない。ルディに人生の正しさを教え込まんとするマティアスの描写は、家父長制的な身振りを否定しながらもトキシック・マスキュリニティを撒き散らすような主人公への反動に思えてならない。村のピラミッドにおいてはまず村のパン工場の雇用主であるシーラだから、憎悪の目はやがて彼女とスリランカ人へと向けられる。テロリストの群れは完全にKKKのメタファーで、うんざりしきった様子でフランスNGO職員の話を聞き続けるシーラの表情と、それでも彼女に女々しく囁き続けるマティアスの右手上げには笑ってはいけないのだが思わず笑ってしまった。もはや世界に国境的な境目はなく、拡張され開かれたグローバル社会では憎悪だけがとめどなく流れ続ける。クリスティアン・ムンジウの描くグローバル資本主義の限界は我々にいま、あまりにも重い現実を問い掛けている。
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