巴里得撤

聖地には蜘蛛が巣を張るの巴里得撤のレビュー・感想・評価

聖地には蜘蛛が巣を張る(2022年製作の映画)
3.8
映画序盤は、シリアル・キラーはミソジニー(女性嫌悪)をこじらせて犯行に及んだのかと思ったけど、真相はもっとヤバくて、この世界には「殺しても構わない人たち」がいるという思想だった。

しかも、少なくない人たちがその思想に共鳴するという怖さ。

シリアル・キラーのサイードは、決して殉教者を目指していたわけではなく、自己承認欲求が高じて快楽殺人に溺れていったことは、本人の口から語られている。

そんな彼を宗教は英雄に仕立て上げてしまうのだけど、同様な機能をもった「装置」は宗教に限らないだろう。

映画の背景にはイスラム原理主義の女性蔑視や人権よりも信仰が優先されるという土壌があるわけだけど、じゃあ、イランのような神権政治体制ではない日本には無関係かというと、決してそうではないことに気づく。

日本が人権後進国であることは、国連が指摘するまでもないのだけど、「民主主義」というきれいなラッピングが施されている分、イランよりも日本の方がタチが悪いかもしれない。

キャストはカンヌで主演女優賞を射止めたザーラ・アミール・エブラヒミをはじめ、全員すばらしい。しかし、特筆すべきはサイードを演じたメフディ・バジェスタニ。ヒロイックな狂信者の仮面を被った小心者の精神破綻者を演じきった。

エブラヒミの演技はいいんだけど、惜しむらくは、彼女が演じるジャーナリストに感情移入しにくいこと。ラヒミがなぜ事件に深入りするのか? そのモチベーションがいまひとつ響かない。ミソジニー社会への復讐? しかし、娼婦に寄せる共感は、それでは説明できないようにも思う。

事件が解決したあと、彼女のこころに残ったものはなんだったんだろう? 彼女がテヘランへと帰るバスの中で再生する映像がショッキング。彼女はそれを観てなにを思うのか? これからどうするのか? そのへんがまったく読み取れないので、映画としてのカタルシスに欠ける。

結果的に「ミソジニーに抗うジャーナリスト」という設定が映画全体においてはノイズになっていると感じた
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