ニューランド

パシフィクションのニューランドのレビュー・感想・評価

パシフィクション(2022年製作の映画)
4.0
 より映画通の人は無理しても追っかけてもいる、知る人ぞ知る映画作家だが、そもそも最も有名な『ルイ14世~』からして観ていないし、作家的特徴もよく知らない。観た作品も、作品といえるのかも分からないのがメインだった印象の人。しかし、あまりないセンス·視覚の持ち主だ。映画的な構築·見栄を(あからさまには)狙ってないのに、神の恩寵的な、映画をはみ出した造型や空気が造作もなく現れたり、何処へゆくのか勝手のびてたりする。作品を論じるというより、映画や世界観を不思議に受け取り、そのセンスやアプローチに、世界への現実感覚と同等の別宇宙を感じ取るのだ。しかもそれは特別のものでなく、周りにどこにでも転がってる気がするもの。区別がつきにくいが明らかに違う。前作『Liberte』等はより徹底して、映画的造型を殆ど捨て去って、未知の鉱脈を掘り当てた感。
 本作もまた劇映画としてのドラマや構成は殆どなく、ベースを保ちながらも変容する画調に、それぞれの映画的ルックがせり出して、意味があるのかどうか分からない、溢れ出してもおかしくないトーンが張り詰め流れてる。
 ポリネシアの何処かを治める欧州仏の高等弁務官が湾岸での様々折衝に流され動く形の·主人公で、やたら弱そうだが威勢空回りに好戦的な老提督、現地の不可思議広大民族色の高級クラブや船群から水上バイクで大波へ·様々に楽しませてくれる気だるい(しかし抑えられた生気が充ちる)歓待、かなり高名な欧女流作家や·不思議にクールな店の女の帯同、近場で核実験再開反対に立ち上がりへ押さえるを控えるよう逆に脅しくるビビらす現地の血気の若い力、立場を越えて結びつく不穏·不気味な動きの暗躍、らの中、まるで権威保てず見せかけの余裕をかますだけの、時代錯誤や場違い(安全な処で)威圧発揮で浮くだけ浮く、プライドや納得勝手徹底の形だけのスカスカ·空っぽ価値世界。それに呼応するビジュアルでもある空気が、気まま自由、ダルく描かれてく。しかし、瞬間瞬間は何にも汚されず活きている。
 色や立体·迫力を競うカラーというのではなく、まるで立体感を削いだ墨絵の様な独自流麗な、人間の手なる自然の根を平明化したような、平面が伸び伝ってゆく画面が作られてゆく、絵画や写真の伝統覆し、平気。軽く薄くて定着せず、明らかに普通の映画ではないドラマやストーリーの埋没、それらが独自に流れてゆく。夕焼けや朝焼けの空と光線の赤さ染めが人間らの部分を浸す、流れ包み出しそうな·そこへ乗り出す船群に対する波·大波の生き物生態如き美と威容と信じがたい色と質、現地クラブでの多人数·色々収め連ねにふと端部手前に人顔寄りや葉らをシャープに置いての·引き締め忘れなさがあるを認められるパート、演し物の半裸ダンサー群のダメ出し·トライ続きの空間と時間へ張り詰めの力感、ある島へ戻らぬ覚悟であるプロジェクトの技術者連れ出しに向かう·色合いや顔や大L捉えらが前面出で台詞殆ど消失、らが敷き詰められ、映画形式と実体の無意味化·権威や権力の空洞化·汎ゆる価値や拠り所の形骸化が明らかにされ、それでも流れ続けるより自発的で個別総体的なものが作品をあらしめる。それは殆ど観た事もないが、魅惑·普遍があって、思い当たり惹きつけられる、ある種の美を持つという、この作家特有の力の現れと驚きである。
「勇気·行動·出撃を控えず、常に打出し表わさなくては」「提督、随分と酔われ過ぎてはおられませんか」/「若造めら、俺らの経験には敵わないんだぞ」「我々には西洋の虚栄心などない。核実験再開、その嘗ての悲劇への復讐も含め、現地の我々は阻止の行動を。それを高等弁務官として、押さえるというなら、容赦は」「背後にロシアや中国がいるとでも。そうなら注文主の国家を超えるもの、とてもそんなのには···」
 映画的ごみのような要素からだけ成ってるのに、どんな宝石より艶を持ち得る。形骸に近い、政治ミステリの要素·使命感を繋げると、それなりに出来てるが、ここで語るには異種、それにそこにそれ程魅力があるわけでもない。その辺別項に。
【そういった追加気付きを『Liberte』欄に】
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