k

SHE SAID/シー・セッド その名を暴けのkのレビュー・感想・評価

5.0
「問題はワインスタイン以上に性加害者を守る法のシステムにある」

性暴力サバイバーの方は特に注意ですが、細かな配慮もされてますので気になったら観ても良いかもしれません。監督も「性暴力のシーンを自分の作品で(世に)増やしたくなかった」とインタビューに答えられていました。
ワインスタインは全然出てこない。ずっと被害者にフォーカスされている。それにより彼やその周りの罪深さが浮き彫りになる。映画の構造としてすごく良かった。

エンパワメントに満ちた素晴らしい作品。問題提起の方向性が社会構造に一貫しており、かなり勇気づけられました。
この作品を作った全員、本当にかっこいい。すごく憧れる。何より記事を書いた2人が、完璧でなければならない果てしないプレッシャーにも打ち勝って、真実および被害者を信じ続けてここまで世界を変えた。その事実にすごく力をもらう。

とあるトークイベントで(配信ないからとのびのび話してくださったかもしれないので詳細伏せます)、ある方が
「正義とは、弱者の側に立つことと思います」
と定義されたのを思い出していました。

(ここからは自分語りです。)

この定義を聞いたとき、「見つけた」と思いました。強烈に。

私は正義感が昔から強くて、曲がったことが許せない。この特性は、自分を"木"に例えるならば、はっきり"幹"だと言えます。切り落とせば私は、自分が何者かわからなくなる。根があればまた生えてくるのかもしれません。でも、それはもう私ではない。だから私はこの幹を、ずっと切り落とさずに生きてきたんですよね。切りたくても切れなかった、心が拒否した、それだけで人生が…それこそ曲がりくねりながら進んできたように思います。

ならば私は、私が幹を切り落とさなかったことを否定してもしようがない、とちゃんと思うようになりました。実のところこれは最近のことです。

それに私のこの正義感は、私に動き出す力を与えてくれることもあります。よくある、かもしれません。

常に「誰のために?何のために?」を、自分に問いながら行動するのですが、思い返せばその答えはいつも、弱者とされる自分あるいは人々の側に立ってのものなんですよね。

私は力を合わせたい。無力な人などこの世にいないと、心から信じています。この国で生きることって並大抵のことじゃない。狂ってます。

それでも抗いながら生きることはできる。むしろ私は抗うことでしか生きられないのかもしれません。権力に。

自論ですが、人生のやり直しってゼロからでは決してできないと思っています。でも死ぬまでは100%じゃないから(これは似たようなことをアンミカが言ってました…)、どんどん枝を増やして、鮮やかな花を咲かせて、誰も見たことのない木になっていきたいんです。

正義とは、弱者の側に立つこと。

私はこのまま進もうと思っています。
k

k