しょうた

SHE SAID/シー・セッド その名を暴けのしょうたのレビュー・感想・評価

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日曜の夜の回だったが、映画館は満席だった。両脇はいずれも若い女性(片やカップル、片や女性三人連れ)だった。映画のクライマックスでは両側の女性が涙ぐんでおり、つられたようにぼくも感動が込み上げてきた。
唯一、実名を紙面で好評していいと言う女性から電話が入り、地を這うような取材を続けてきた女性記者二人(ミーガン、ジョディ)がハグし合うシーン、女性に呼び掛けるようにBeautyful!と。

映画はプロのジャーナリストの仕事を見せてくれる。取材対象者への繊細な配慮、同時に事実に迫ろうとする大胆な迫り方。いきなり掛かってきた電話への対応やインタビューでの丁寧なやりとり。相手はけしてネタではなく尊重されるべき一人の人として扱われる。

暴かれる側のワインステインに対しても筋を通す。記事にコメントを求め、話し合いにも応じる。話し合いのシーン、ワインステインは後ろ姿、キャメラはミーガンの表情を捉える。この映画が描くのは事件ではなく、女性たちの姿、その心であることを如実に示している。
同じようにレイプシーンはそのまま描かれることなく、音声の再現とホテルの廊下の移動撮影シーンが延々と続く。被害女性の悪夢のような心の内側を描くように。

社会の姿、小学生の会話にもレイプという単語が登場し、また女性たちがパブに入れば男たちがセックス目的で声を掛けてくるシーン。そうしたヴァルネラブル(つけこまれやすい)存在である女性の矜恃を映画は描く。小さな子を持つ母であり、弱さを抱えたままで強くあろうとする女性たちの連帯。(それは先輩ジャーナリストらに支えられてもいる。)

それにしても、現実のワインスタインのプロデュースした映画は、どれも優れた魅力的な作品ばかりなのに複雑な気持ちがする。
日本でも、優れたドキュメントフォトで一時代を築いた広河隆一による酷似した性加害があった。
映画のミーガンやジョディの夫たちの女性と対等であろうとする姿も印象的だ。
男の一人として問われる感じが残る。
しょうた

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