ちこちゃん

SHE SAID/シー・セッド その名を暴けのちこちゃんのレビュー・感想・評価

4.0
言わずとしれた#MeTooのムーブメントをおこしたハーヴェイワインスタインの長年に渡るセクシャルハラスメントを公にすることができたN.Y. Times の記者の映画。

ドキュメンタリーのように、声を上げられず沈黙せざるを得なかった女性たちを追い、示談にしたことを突き止め、女性に寄り添って、でも事実を積み上げて記事にするまでが描かれます

ハラスメントが起きるのは、かならずそこにそれを許す仕組みがあるからでしょう。
巨大な権力を持つもの、その人か飛び抜けた才能があるが故に、ハラスメントを許してしまう土壌。

ハラスメントは決して女性に対してだけではありません。日本で起こっている亡くなった大手タレントマネジメント会社の創始者のよる、男性へのハラスメントもそうでしょう。圧倒的なパワーを持ち、タレントの生死を左右することができる。そこに、この映画と同じように、ハラスメントを産む土壌ができあがってしまいます。そして、それを許容することで、加担するメディア会社。
この映画で描かれたハラスメントは決してワインスタインだけのものではなく、映画の中でも言われているように、一例にしか過ぎなません。ハラスメントに対して、無言で許容することは、ハラスメントに加担することになるのですが、それが罪悪であるとの理解は希薄であると思います。

そして、これらのハラスメントに対して、看過できないのは、被害者が責められることです。露出が多い服を着ていたから、セクハラされても仕方ない。これは、この間日本でおきた女性DJに対するハラスメントに対する意見として挙げられていたことです。例えば、人前でお金を勘定していて、お金を奪われたとしても、お金を人前で数えていたから奪われたのは仕方ない、とは言われないでしょう。それならば、どんな洋服を着ていたとしても、触って良い、ということにはならないのではないでしょうか。被害を受けたのは、被害者が悪いからでしょう、という議論が平然となされることは理解ができないです。なぜ被害を受けた人を非難するのか、そういう風土がハラスメントを許容してしまうのではないでしょうか。

この映画を観て、昨今の日本での出来事を見て、ハラスメントが存続している状況を憂うばかりです。
そして、この映画での女性弁護士がハラスメントを擁護したように、同性によるハラスメントへの加担も、許されるものではなく、罪が重いと思います。それは、伊藤さんの事件でも起こりました。

日本においても、あらゆるハラスメントが無くなりますように。そして、法的にもその仕組みをもっと強固にする必要があるとも思います。
ちこちゃん

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