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美と殺戮のすべて(2022年製作の映画)
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小林製薬の紅麹問題が大きな話題になっている今、とてもタイムリーな作品と言っていいだろう。もちろん、規模も性質もまったく違う。何せアメリカでは、サックラー家が創業した製薬会社パーデュー・ファーマが発売した「オキシコンチン」(オピオイド鎮痛薬の一種)により、50万人以上が亡くなったといい、今もその被害が拡大しているからだ。

とんでもない話である。

もちろん、死者が多数出ていることが最大の問題なのだが、サックラー家に関して言えばさらに問題がある。それは、「オキシコンチンによる莫大な利益を、美術館・大学など様々な施設に寄付していること」だ。作中で、「サックラー家は、オキシコンチンと名声を拡散しようとした」と語られているが、その「名声」のためにサックラー家は多額の寄付を行っているのだ。誰もが知っている有名な美術館、例えばルーブル美術館やメトロポリタン美術館にも、サックラーの名を冠した場所が存在する。それほど、美術界では甚大な影響力を持っているのである。

そしてそんな超巨大資本に立ち向かったのが、写真家のナン・ゴールディンである。彼女は、自身もオキシコンチンの中毒被害者である。そしてその体験談を、「アートフォーラム」誌に載せた。その反響は凄まじかったようで、これをきっかけに彼女は「PAIN」(「処方薬依存への介入を今」の略らしい)という団体を立ち上げ、「サックラー家」を相手に戦うことに決めたのだ。

その効果は凄まじかった。今から書くことはある意味では映画のネタバレと言えるかもしれないが、実際に起こった出来事であるし、また、その凄まじい影響力は広く知られるべきだと思うので、書こうと思う。

「PAIN」のメンバーは様々な美術館等で抗議活動を行ったが、最初の一年は美術館はどこも沈黙したままだった。その一方で、ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーがナン・ゴールディンの回顧展を企画していた。ナショナル・ポートレート・ギャラリーはサックラー家から130万ドルの寄付を受け取っていたのだ。

そこでナン・ゴールディンは、「サックラー家からの寄付を拒否しなければ、回顧展を拒否する」と通達した。そしてそれを受けて同美術館は、サックラー家ではなくナン・ゴールディンを取ったのだ。

すると、それまで沈黙を続けていた美術館が次々に追随した。テート美術館、グッゲンハイム美術館、メトロポリタン美術館など有名な美術館が、次々にサックラー家からの寄付の拒否を表明したのだ。また、ルーブル美術館は美術館の中で初めて、館内から「サックラー」の名前を消した。恐らくその流れは、今も続いているのだろう。

そんな凄まじい社会活動を、「アーティストとしてにキャリアを失うかもしれない」という恐怖と闘いながら先導したのがナン・ゴールディンであり、本作『美と殺戮のすべて』は、そんなナン・ゴールディンの来歴を追うような作品である。確かに、本作の中心には「サックラー家との闘い」があり、その様子を描いた場面も多いのだが、作品全体としてはむしろ、「ナン・ゴールディンのこれまでの歩み」と言った感じの作品と言える。

そしてそちらもまた、実に興味深いのだ。

彼女のオキシコンチン中毒の経験を誌面に載せた編集長は、「今、どの美術館も彼女の作品を欲しがっている」と言っていた。公式HPには、「同世代で最も重要かつ影響力のあるアーティストの一人」と書かれている。しかし彼女が作品を発表し始めた当初は、「酷評」の嵐だったそうだ。

彼女が撮影していたのは、主に「私生活」である。様々なアーティスティックな人たちと共同生活を行い、セックスと麻薬に塗れていたという彼女は、そんな日常を常に写真に撮っていた。別に、写真家になろうと思っていたわけではない。ただ、写真が好きだっただけだ(もっと若い頃は内気で対人恐怖症をさらに悪化させたような状態だったため、カメラを手にして初めて「声」を手に入れ、「存在価値」を感じられるようにもなったと言っていた)。仕事も「フィルム代を稼ぐため」に、割の良い仕事をしていた。ダンサーとして腰を振ったり、ある時期は売春宿で働いていたこともあるそうだ。売春宿での経験は、本作で初めて語ったとのこと。「売春」への偏見を無くすためだそうだ。

彼女が住んでいた辺りでギャラリーが出来たり展覧会が開かれたりし始めたらしく、さらにそういう場所は持ち込みが基本だったのだという。そこで彼女は、撮りためた写真を20枚ほど持っていった。色褪せたり敗れたりしていたそうだ。しかし、それを見せたところ、担当だったマーヴィンという男性はすぐに惹かれ、もっと見せてほしいと言われたナンは箱で持っていったそうだ。ちなみにその際、彼女はタクシーで写真を運んだのだが、「運び賃として運転手にフェラをした」と話していた。「私は、そんな風に美術界に潜り込んだの」と。

しかし、それらの作品は酷評されたそうだ。そこには、時代背景もある。当時はまだ、「女性は優れた芸術家にはなれない」みたいな言説が当たり前のように語られていた時代だったのだ。あるいは、男性の美術商や評論家からは、「私生活を撮るのは芸術じゃない」とも言われたそうだ。いずれにせよ、「過激なものが受け入れられない時代だった」と彼女は語っていた。

受け入れられなかったと言えば、時代は異なるがこんな話もあった。アメリカでエイズが大問題になり始めた時期のこと。その時期ナンは薬物依存のために隔離入院させられ、友人たちから引き離されていた。彼女は「入院が終わったら戻る場所はあるだろう」と思っていたのだが、そうはならなかった。何故なら、友人たちが次々にエイズで若くして命を落としていったからだ。アメリカでは「保険に入っていないため、エイズだと分かっても治療を受けられない」という問題もあり、政治を巻き込んだ社会問題に発展していた。

そんな中、ナンは「エイズ」をテーマにした展覧会を企画する。当時、「エイズ」というテーマは前例がなかったそうだ。そして展覧会の準備を進めていく内に、「NEA(全米芸術基金)」からの助成金が撤回されるという話に展開していく。こちらの場合、ナンの企画云々よりも、ナンが友人に頼んだパンフレットの序文が大騒動を引き起こしていたのだが、いずれにせよナンは、このような論争の的になることが多かったのである。

そんな彼女が今では、「どの美術館も作品を欲しがる」と言われるまでの存在になっているのだから、時代が彼女に追いついたということなのだろう。ちなみに、これに関連して2点触れておきたいことがある。まずは、彼女がドラァグクイーンと共同生活を始めた頃のことを回顧して語っていたこと。彼女はこんな風に言っていた。

『先駆者だとか反逆者だとかいう自覚はまったくなかった。
生きるのに必死で、外の世界の反応には興味が無かった。』

もう1つ。これはナンが友人であるクッキーが言っていたことして話していたことだ。

『私は奔放じゃないわ。
私が行く先に奔放があるだけ。』

いずれにせよ、いわゆる「マイノリティ」と言われるような様々なタイプの人たちと共に生活をしながら、その「リアル」を切り取り続けたというわけだ。彼女は、セックスの様子なども写真に収めていたのだが、スライドショーの展示の際に写っている本人から「その写真は削除してほしい」と言われたため、「自分がセックスしている様子を写真に撮るようにした」とも語っていた。まさに「私生活そのもの」を写真を通じて提示していたというわけだ。

そんな彼女の物語は、姉バーバラの話から始まる。バーバラは、「1歳の時点で文章でコミュニケーションが取れていたが、その後1年半もの間口を閉ざした」みたいに冒頭で紹介される。姉とは大変仲が良かったそうで、姉自身は親の愛情を知らずに育ったにも拘らず、ナンの世話はとても上手かったという。そしてそんな姉のお陰で彼女は、「郊外での生活の退屈さ」に気づいたと語っていた。

姉は自由奔放で、同性への恋心もナンに明かしていたそうで、性に抑圧的だった時代だからこそ自身の性的指向に悩んでいたという。また、姉は自身のことを「やせっぽっちの猛獣」と言っていたそうだが、それ故に親との関係はなかなか上手く言っておらず、姉は何度も施設に送られた。両親は姉に「精神疾患」というレッテルを貼って受け入れなかった。

そしてそういうことがあったせいだろう、姉は若くして自ら命を絶ったのだ。ナンが11歳の時のことだった。

映画の後半、また姉の話が出てくる。父親に頼んで、姉の診療記録を取り寄せてもらったそうだ。父親は中を読みもせずにナンに送ってきた。そしてその中には、「入院すべきは母親の方」「バーバラはいたって普通の少女」と書かれていたそうだ。ナンは姉について、「生きるのが苦しかったはず」と表現し、親から愛情が注がれていれば今も生きていたはずだと語っていた。ちなみに、本作のタイトルになっている「美と殺戮のすべて」も、たぶんこの診療記録に書かれていたものだと思う。「バーバラは、この世の美と殺戮のすべてが見えている」みたいなことが書かれていたそうだ。

またナンは両親について、

『父と母は親に向いていなかった。
人間を育てる覚悟を持たないまま、普通の家庭を築こうとしたのだ。』

と、かなり辛辣な表現をしている。この点については、児童虐待のニュースなどを目にする度によく感じることだ。僕には「どうして世の中の人は『自分はまともな親になれる』と確信を持てるのか」と感じられる。というのも僕は、「絶対にまともな親になれない自信」が昔からあり、だから結婚はともかく、子どもだけは絶対に欲しくない、と考えてきたからだ。同じような話を友人からも聞いたことがある。

そして、そんな風に思っている僕からすれば、「子どもを育てると決断した人は皆、『まともな親になれる自信』があるんだなぁ」と感じられる。もちろん、「予期せぬ妊娠」もあると思うので、そのような場合には自信があるとかないとか関係ないが、計画的に子どもを生み育てることを考えている人は当然「まともな親になれる自信」があってそうしているのだと僕は思っている。

それなのに、世の中には虐待が溢れているし、虐待でなくても「とてもまともとは言えないだろう」という親はたくさんいるはずだ。僕には、不思議で仕方がない。明らかに「子どもを生み育てることに向いていない人」はいるはずだ。なのに多くの人が、「自分は大丈夫だろう」と考えているように僕には見える。ホントに、不思議で仕方ない。

さて、ナン・ゴールディンの話はこれぐらいにして、もう少しサックラー家やオキシコンチンの話をしておこうと思う。

映画の冒頭は、メトロポリタン美術館の「サックラー・ウィング」と呼ばれる場所で、オキシコンチンの空の容器を放り投げ、その後で参加者が床に寝そべって「死」を表現する、とい抗議活動の様子から始まる。2018年3月10日のことだ。参加者は、「死の宮殿」「ウソで儲けた一族」などと叫びながら、サックラー家から寄付をもらっているメトロポリタン美術館に抗議を行った。

抗議は主に「ナンの作品を収蔵している美術館」を対象に行われたそうだ。かなり強気の姿勢と言える。まあ、それぐらいの覚悟で望まなければ、超巨大資本と戦うことなど不可能だと考えていたのだろう。ネットで調べたところ、パーデュー・ファーマはオキシコンチンの販売によって350億ドル(当時のレートで約3.4兆円)以上の売上を得たとされている。

サックラー家は医師に直接営業をかけ、「処方量に応じてキックバックをする」というやり方で売上を伸ばした。このやり方によってオキシコンチンは「史上最も売れた処方薬」となったそうだ。そりゃあ医師としても、処方すればするほどキックバックがもらえるなら出したくもなるだろう。製薬会社が「依存性が低い」と言っているのであればなおさらだ。

しかしそれは真っ赤な嘘だった。作中には、オキシコンチンによって家族を喪った者たちの悲痛な叫びが込められている。ある人物は、医師から4時間おきに服薬するように言われ、嫌がる息子に無理やり飲ませていたそうだ。そしてその結果、その息子は命を落としてしまった。彼女は、自分の手で息子の死に加担してしまったと嘆いていた。そして恐らく別の息子のことだと思うのだが、同じ人物が、「オキシコンチンの中毒になった息子がヘロインにも手を出し、11年間苦しんだ挙句、浴室で自殺した」と話していた。このように、「医師の処方に従って飲ませていたのに、その結果として愛する人を喪ってしまった」という人が、アメリカに多数存在するのである。やりきれないだろう。

また、自身もオキシコンチンの中毒患者であり、運良く生き延びたというナン・ゴールディンの話も興味深い。彼女は手術後に処方されたオキシコンチンを飲んで、たった一晩で中毒になったそうだ。最初は1日3錠だったものが18錠に増え、それでも満足出来ずにストローを手にする(恐らく何らかの薬物の吸引なのだろう)など、薬物への渇望にかなり苦しめられたそうだ。

彼女はまた、薬物依存に対する偏見が未だに存在することも指摘し、薬物依存者に烙印を押す人は「薬物を断つことの難しさ」を理解していないと語っていた。「地獄のどん底」「耐え難い苦痛」と表現していたほどだ。彼らは「オピオイド拮抗薬」の使い方を学んだりと、中毒症状に対応するやり方を広める活動も行っている。

薬物依存者への偏見として、「すべての薬を止めなければ『回復』と見なされない」みたいな捉えられ方もあるようだ。しかし彼らは「ハーム・リダクション」、つまり「使用量がゼロにならなくても、健康や社会生活に大きな影響を及ぼさない状態」を目指すことがまずは大事だと考えている。その辺りの理解の齟齬も、問題として存在するようだ。

さて、「PAIN」の面々は弁護士とも協働し、オキシコンチンを製造・販売したパーデュー・ファーマを訴えた。しかし、3000件近い訴訟を抱えることになったパーデュー・ファーマはなんと、破産を選んだのだ。しかもなんと、破産申請する前に、サックラー家が会社の資産を引き出していたという。その額なんと100億ドル以上。訴訟を回避するために破産を選び、その実会社の資金は一族が引き出していた、みたいなふざけた状況が許されていいはずがないだろう。

「PAIN」の面々は様々に奮闘し、最終的に60億ドル以上の和解金を勝ち取ることになったそうだ。しかし、サックラー家が手を尽くしたのだろう、パーデュー・ファーマは刑事司法で有罪ということになったのだが、その経営者は司法の手を逃れることが確定したのである。

問題は今も続いている。オキシコンチンによる死者は、2022年3月末までの1年間で10万9000人に上り、年間の死亡者数としては過去最大となったそうだ。これまでオキシコンチンによる被害は、1兆ドルを超えているという試算も紹介されていた。

そんな凄まじい巨悪と、そこに闘いを挑んだアーティストを描き出すドキュメンタリー映画である。監督は、『シチズンフォー スノーデンの暴露』を撮ったローラ・ポイトラス。この人、女性だったのか。知らなかった。
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