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ナチ刑法175条/刑法175条のナガエのレビュー・感想・評価

ナチ刑法175条/刑法175条(1999年製作の映画)
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僕が「刑法175条」という法律の存在を知ったのは、少し前に観た映画『大いなる自由』でのことだった。驚いた。ドイツでは長らく「男性の同性愛」が刑事犯罪だったからだ。1871年、ナチスによって制定されたこの法律は、幾度かの改訂を繰り返しながら、なんと1994年まで存在したそうだ。映画『大いなる自由』は、そのような時代を生きた男の辛い人生を描き出す物語である。

『大いなる自由』の描写で驚かされたのは、主人公の男性が「強制収容所にいたことがある」と語っていたことだ。僕はそれまで強制収容所は「ユダヤ人が収容される場所」だと思っていた。しかし実は、「同性愛根絶」も目指していたナチスドイツによって、ドイツ人でありながら強制収容所に入れられた者もいたのである。

そしてその事実は、長い事広く知られずにいた。それは、ドイツに住む者も例外ではない。本作は、クラウス・ミュラーという歴史学者が「歴史の証人」を訪ね話を聞くという形で展開されるのだが、ドイツで生まれ育ったクラウス自身も、その事実を知らなかったそうだ。そして、ある時点でそのことを知り、彼らに話を聞こうと思い立ったそうだ。

本作は、日本で一般上映されるのは2024年が初めてだが、制作されたのは1999年であるようだ。そしてその時点で、「175条と何らかの形で関わった存命の同性愛者」は10名にも満たなかったそうだ。作中に登場した人で、若い人でも1920年代の生まれだったと思う。恐らく、現在もなお存命の人は1人もいないのではないだろうか。

壮絶な時代を生き延びた者たちの証言は、やはり凄まじい。

まず、個人的に意外だったことは、「ナチスが台頭する以前のベルリンは、性に奔放だった」ということだ。実際に「1920年代のベルリンは同性愛の楽園だった」と語る者もいたし、それ以上に彼らの「性生活」がかなり奔放だった。12歳からセックスをしていた者、28歳の時に複数の生徒(18歳~20歳)と関係を持っていた者、子どもの頃に教師に自らアプローチし、その後母親に「僕にも男が出来たよ」と報告した者。映画の冒頭に登場した男性は、「空爆の最中、電車内でセックスをした」と語っていた。なんというか、「むしろ現代よりも同性愛が受け入れられていた」とさえ言えるかもしれない状況に感じられた。

しかしその後、ヒトラーが登場する。本作中唯一登場するレズビアンの女性は、「あんな変な男が人々から支持されるはずがないと鼻で笑っていた」と語っていた。しかし誰もが知る通りヒトラーは人気を集め、「アーリア人の純血で祖国を救い、素晴らしい未来を作ろう」と人々に訴えかけるようになる。そしてその過程で、同性愛も嫌悪されるようになっていったという。しかしこの時点ではまだ、ヒトラーは首相になっておらず、同性愛者たちもさほど危機感を覚えていなかった。

さらに、彼らが安心していた理由がもう1つある。それが、ヒトラーの側近エルンスト・レームの存在だ。彼は同性愛者だと広く知られていた。元軍人などを集めた民兵組織を作り、武力でヒトラーを支援していた人物であり、そんな人物が側近を務めているのだから酷いことにはなるまい、と考えていたのだそうだ。しかしヒトラーは、「レーム以外の同性愛者は厳しく弾圧する」というやり方をするようになっていく。

本作では、「歴史の証人」たちのインタビュー以外にも、当時の状況を説明するナレーションも入る(公式HPによれば、ナレーションを務めたのは、自身もゲイであることを公表している俳優だそうだ)。その中で語られていたことを元に、以下にヒトラーが「同性愛者の弾圧」を強めていったのかざっくり触れておこう。

1933年1月30日にヒトラーが選挙に大勝し首相の座に就くと、ゲイやレズビアンが集まるバー・レストランなどが相次いで閉鎖された。2月27日には国会議事堂が火事になったのだが、野党が「レームの愛人が犯人だ」とデマを流す。そしてその1ヶ月後には、早くも最初の強制収容所が完成していたそうだ。

その10日後には、ユダヤ人ビジネスのボイコット宣言を出し、さらに5月6日にマグヌス・ヒルシュフェルトが立ち上げた性科学研究所が閉鎖された。ヒルシュフェルトは自身も同性愛者であり、彼が同性愛の研究を行ったことで世界から注目を集め、また同性愛者たちの希望にもなっていた。しかしそんなヒルシュフェルトも、結局逃亡先で亡くなってしまう。

そしてその4日後には、図書館に収蔵されていたユダヤ人、左翼、同性愛に関する本が焼かれた。そして7月14日、政権を獲得してから半年後には、他の政党を禁止する法案を制定し、ヒトラーはドイツを掌握していくのだ。

そしてこのような流れの中で、同性愛者たちにとっての苦難の日々が始まっていくことになる。

翌年の1934年6月28日のこと、後に「長いナイフの夜」と呼ばれる事件が起こる。レームを始めとするナチ党300名が反逆者として処刑されたのだ。これはヒトラーによる初の粛清だったという。そして同時にヒトラーは、「ナチからの同性愛者撲滅宣言」を出す。しかし野党は、これまでもレームを筆頭にナチのことを「同性愛者の集団」と揶揄しており、ヒトラーによるその宣言後も同じような批判を続けた。

そしてそれ故に、ヒトラーは同性愛者への弾圧を強めたと、本作では語られていた。それ以上この話には触れられていなかったが、もし野党が過剰にヒトラーを刺激しなければ、同性愛者への弾圧はそこまで強くはならなかったかもしれない。

さて、「長いナイフの夜」を経て、1871年には既に存在していた「刑法175条」が改訂されることになった。公式HPにその条文の一部が載っているので引用しよう。

<男性と男性の間で、あるいは人間と動物の間で行われる不自然な性行為は、禁固刑に処される。公民権が剥奪される場合もある。>

「男性と男性の間で」と書かれているように、レズビアンは除外されている。当初ヒトラーは、レズビアンにもこの法律を適用するつもりだったそうだが、最終的には「矯正可能であること」かつ「生殖機能を持って有益であること」から見送られたそうだ。そしてこの改訂を受けて、ドイツでは「中絶及び同性愛取締局」が作られ、弾圧が一層厳しくなっていく。

突然拘束され、そのまま1年半も強制収容所に入れられた者。収容所にいる間に、大勢の前で友人が軍用犬に噛み殺された者。運良く強制収容所ではなく普通の刑務所に入れられたためどうにか生き延びられた者。様々な経験が語られていたが、中でも印象的だった話が2つある。

1つは、唯一登場するレズビアン女性の話。彼女は自身のことを「勘が良い」と語っており、情勢が変わったのを見て取るやすぐさま疎開したという。農場で生活していたのだが、しかしそこにもナチスがやってきてしまう。ただ、その時に拘束された者たちは、警察の奥さんが鍵を開けてくれていたお陰でどうにか逃げ出すことが出来た。彼女たちがいた農場は
その後火事になったようで、一度農場に戻った彼女はそこで燃えかけている旅券を見つけた。そしてそれを拾い上げて、すぐに自転車でベルリンへと向かったのだそうだ。

そしてその最中のこと。彼女は反対側からやってくる郵便配達夫に呼び止められたそうだ。「あなたにラブレターだよ」と。開けてみて驚いた。そこには、英国への入国許可証が入っていたのだ(以前から申請していた、みたいな話だったと思う)。タイミングが僅かでも違っていればその手紙を受け取れなかったわけだし、もしそうなっていたら親と共にアウシュヴィッツ行きだっただろう、と彼女は語っていた。ドラマみたいな話である。

そしてもう1つ、ドラマみたいな話がある。「初めて本気の恋をした」と語る男性のエピソードだ。彼が恋に落ちたのはマンフレッドという男性で、しかし彼はある時、他の家族と共に拘束されてしまった。男性は、マンフレッドの上司に会いにいき、マンフレッドが拘束されたことを伝えた。すると上司から、「お前には勇気があるか?」と問われたのだそうだ。

あると答えると、その上司は、「私の弟はユーゲント隊員だ。だからその制服を着て、マンフレッドを助け出せ」と言われたという。

愛する人を助けたい一心で、男性は制服を着てマンフレッドが拘束されている学校の校舎まで行き、首尾よく彼を外に連れ出すことが出来たそうだ。そして、門を出てから10歩ほど歩いた場所で男性はマンフレッドにお金を渡し、「叔父のところへ行け。連絡をしておくから」と伝えた。

しかしマンフレッドは、「僕は行けない」と口にしたそうだ。「今病気の家族を見捨てたら、僕は一生自由ではいられない」と言って、自ら校舎へと戻っていったという。その時のことを振り返った男性は、「私の中で永久に何かが壊れてしまった」と語っていた。

証言者たちの語り口は様々だ。過去を懐かしむように喋る者もいれば、あまりに辛い記憶に涙する者もいた。中でも印象的だったのが、映画の冒頭、歴史学者のクラウスが最初にアプローチした際に、「協力はするが、長くは無理だ」と言っていた男性である。

彼は恐らくフランス人で、ドイツとの国境付近アルザス地方に住んでいたようだ。そして、ナチスドイツ占領下のフランスでも同様に、同性愛者の弾圧が行われていた。そんなわけで彼は冒頭、クラウスに向かって、「ドイツ人とは二度と握手をしないと決めていたのだがな」と言っていた。彼は終始厳しい口調で話を続けていたのだが、むしろ彼のようになるのが普通であるように感じられた。50年以上前のことだろうが、当然忘れられるはずもない。「25センチの棒を尻に突っ込まれた」と語る彼は、今も尻から血が出ると憤慨していた。

一方、強制収容所に長く入れられていたのに、そこを出て以降、強制収容所での経験をまったく語らなかったという男性もいた。彼はその理由を「恥」だと語っていたが、当時の風潮も関係していたようだ。「誰にも聞かれなかった」し、強制収容所の「き」の字でも出そうものなら「そんな話は止めてくれ」「昔のことは蒸し返すな」と言われたという。このようなこともあって、長い間多くの人に知られることのなかった事実だったのだと思う。

1999年に制作された本作では、「彼らは戦後も犯罪者のままであり、ナチ被害者として認定されていない」と説明されていた。また、本作に登場した男性の1人は、1950~60年代にも再三に渡り「175条」を理由に逮捕されたそうだ。彼はその後補償を要求したそうだが、却下されたという。

しかし、2024年に公開された本作には、追加の情報が記されていた。2002年に、175条による有罪は無効と決まったようで、さらに2017年には彼らに対する補償が始まったそうだ。しかしそれにしても、あまりにも遅すぎると言っていいだろう。

ちなみに、以前観た映画『イミテーション・ゲーム』でも同じような状況が描かれていた(ドイツではなくイギリスの話だが)。「コンピュータの父」として有名なアラン・チューリングは、戦後にゲイの容疑で逮捕された。今では「暗号機エニグマを解読した天才」として知られているが、当時は戦時中の情報は機密のままであり、むしろ「経歴に不審な空白がある」という疑いさえ掛けられてしまう。結局チューリングは自殺するのだが、その後2013年にエリザベス女王によって「恩赦」が発効、チューリングは晴れて「無罪」が確定したのである。

戦時中、あるいは戦後間もない頃の出来事が2000年代にようやく撤回されるという遅さにも驚かされるし、恐らく、まだまだ名誉が回復されずにいる人たちはたくさんいるのだと思う。「戦争」の記憶は、それを経験した人たちの死によってどんどんと失われていってしまうが、まだ彼らが生きている間に、正しい対処がなされてほしいものだと思う。

ちなみに、クラウスによる調査(最終的に本作として結実することになった調査)は、「ホロコースト博物館」の常設展示に収蔵されることになったそうだ。
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