「人を喰う」とかなり直接的に他害するマイノリティでありながら、彼らの特性が顕在化して社会問題となったり、それによって迫害を受けたり、という「社会との葛藤」的な直接的描写はほぼ無い。あくまで内的な心情風景、家庭内あるいは同種間のごく限られた範囲におけるコミュニケーションに映画の軸足がおかれている事からも、ある「特定の」マイノリティのメタファーとして描きたいのではなく、「疎外」と「連帯」をひどく先鋭的な形でもって描きたかったのではと思った。どこにも居場所が無いと感じたり、誰とも分かり合えないと絶望的な気分になったりする瞬間は誰でも覚えがあるし、そんな瞬間に自分と似ている人と出会った時の高揚感は何物にも代えがたい。
まあ、なんにせよ、血まみれのティモシーシャラメが、好きです。最後にネックレスだけ残ってるシーン、ベタすぎだけどどうしても好きです。