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ホワイト・ノイズのambiorixのレビュー・感想・評価

ホワイト・ノイズ(2022年製作の映画)
3.7
ここまでわけのわからん映画というのも久しぶりに見た気がする。ジャンル的にはコメディだそうですが、特にわかりやすいギャグがあるわけではないし、笑えるシチュエーションもない。作品紹介の文面を見て誰もが連想するであろうアダム・マッケイの『ドント・ルック・アップ』や北欧コメディのようなシュールでブラックな笑いにも乏しい。送り手自らコメディを標榜しつつも、中身の方で安易なジャンル区分を拒絶しておるわけです。本来ならこの手のジャンル分け不可能なヘンテコ映画というのは大好物のはずなんだけど、なぜだろう、本作『ホワイト・ノイズ』に限ってはいまいち楽しめなかった。それでも後学のためにわけのわからん映画をわけがわからんなりに咀嚼してみたいと思います。
1980年代のアメリカ。物語は、大学のヒトラー学部教授なるキテレツな肩書きを持つ主人公アダム・ドライヴァーとその妻グレタ・ガーウィグ、彼らの3人の子供たちを中心に展開していきます。さいぜんわけがわからないと書きましたが、「この映画は死をテーマにした作品である」ということはひとまず言えるかと思います。冒頭で流れる映画のカークラッシュシーン、スーパーの食品に入った添加物、タバコ、悪夢、何かに見られているという予感、自分に内緒で謎の薬を服用する妻への不信感、ヒトラーに心酔する兵隊たちの映像…などなど、何気ない日常生活の内部にあふれる死の匂い。生きていく上で完全に避けて通ることはむずかしい、死に対する恐怖と死に対する欲動とがないまぜになったような漠然としたなにか。これがタイトルの「ホワイトノイズ」なんですかね。ちなみにホワイトノイズというのは、人間の耳に聞こえるあらゆる周波数をほぼ一定の強さで含んだ音のことで、たとえば、音楽を止めた状態でイヤホンを装着した時に聞こえる「サーッ」という音がそれ。一説によると、ホワイトノイズには心を落ち着けるリラックス効果があるらしいのだけれどその反面、一度気になり始めると耳障りに聞こえて仕方がない。文字通りのノイズになってくるわけです。そのことがあらわになるのが第二部。街の郊外を走っていた貨物列車とタンクローリーが激突、炎上。しかも最悪なことに貨物の中から漏れ出てきたのは毒物をたっぷりと含んだ化学物質だった…。第一部で身の回りに偏在していた死が紛れもない脅威として降りかかってくることに。もちろん街は大パニック。ドライヴァー一家も車で避難することを余儀なくされる。劇中でもっともスペクタクル要素が強く、かつ日本の観客でも共感しやすいのがこのパートなのではないでしょうか。ドライヴァーが毒物を含んだ雨に打たれて怯えるくだりから原発事故の記憶を思い起こした人も多いはず。情報がほとんどない、目にも見えない、なにか得体の知れないものに対する圧倒的な恐怖感。さらに、根拠のない情報や明らかなデマが飛び交う避難所でのやりとりからは、いまだに収束の兆しが見えないコロナウイルス禍を連想させずにはいられません。
そして、相変わらず様子がおかしい妻のことをドライヴァーが探り始めるラストの第三部。ある意味作中で一番コメディっぽいのがこのパートかもしれない。なぜって今まであれだけ執拗に描いてきた死に対する恐怖が夫婦間の不和なんというチンケな代物にすり替えられてしまうから(笑)。いやさ、ドライヴァーが死への恐怖に取り憑かれすぎてもはや狂人の相すら呈している、という事実はもちろん変わらないのだが、その恐怖はここへきて妻に対する不信感とイコールの関係をとり結ぶ。拳銃を手に取りモーテルへと向かった彼は妻を寝取った男に恐怖をなすり付けようとこころみる。死ぬ側から殺す側へのシフト。果たしてドライヴァーの試みは半ば挫折し半ば成功するわけだけど、結局のところ人間は「死」の痛みを自らの身でもって引き受けた一瞬間にだけ「自分が生きている」ことを実感できるのだし、逆にいえばそうでもしない限り死の恐怖から逃れることはできないのだ…とでも言わんばかり(フィンチャーの『ゲーム』ばりに回りくどい…)。しかし、そんなともすれば陳腐でステレオタイプなお題目を完膚なきまでに叩きのめしてくるのが直後に続く病院のシーン。そこに登場するドイツ人のシスターは、死についてくよくよ思い悩む態度にくわえ、あろうことか死後の救済を約束してくれるはずの神や宗教まであけすけに否定してみせる(笑)。それじゃあ今まで俺たちが見せられてきたものは一体なんだったのか、もうめちゃくちゃだ。ただし、ここで示唆される「宗教さえも突き詰めれば単なる迷信にすぎない」という身も蓋もない過激なテーゼを踏まえていうなら、本作『ホワイト・ノイズ』は、ドライヴァー夫妻がホワイトノイズの二面性を横断していく物語だったのだ、と言ってよいのかもしれない。死の恐怖から生の謳歌へ。耳障りな雑音から心地よい音へ。「サーッ」という、ひとつのホワイトノイズからどちらを選び取るかはとどのつまり、その人の気の持ちよう次第なんじゃあないのか、と。そう諭しているように思えてならない。
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