「拳振り上げといてノープランかい!」
完全におもんないね。これ。
びっくりした。正直。
くまのぷーさんをスプラッタにする。
なんやそれ、おもろそうやんか。
それしかない。
そんなことあんの?
びっくりしたわマジで。
往々にしてこの手の映画にありがちな、「こんなシーンが撮りたい」の継ぎはぎならまだ分かるけど、そんなシーンも何もない。
「ぷーさんをブギーマンにしょうぜ!」
そのノリだけで始めて、なんのビジョンも無く、最後まで行き当たりばったりに終わったなぁ。
よくホラーってストーリーが無いって言われるけど、
これ間違ってて、ストーリーがシンプルなだけで、
展開の妙ってのは必要なんだよね。
そこは一本筋が通った中の展開がいるんやけど、
本作はもうほんと、現場でノリで決めたの?ってくらいなんもない。
唯一評価できるのは、最近では絶滅危惧種に指定されている乳要員が登場した事。
乳要員。
ホラーの様式美である、乳を出したら死ぬという必中の術式。
最近ではもう乳はタブーなのか、そんな匂わせすらも無く死んでいく事多々。
物足りない。
そう思ってた中、本作では乳要員が登場。
乳を出したから死ぬわけではない。
乳も出してないのに襲われて、何故か意味も無くぷーさんが上半身を剥き、性的な意図も無く、全く無意味に乳出したままシュレッダーにツッコまれるという乳要員の尊厳を奪う名シーンだ。
これを見た時は、名作なんじゃないかと思った。
乳要員とはワイが命名した造語やけど、
その様式美の中には宗教観が存在していて、
まぁ教訓的な話よね。
そういうふしだらなことをしたら悪い事起きるよって。
それが本来の様式美なんやけど、本作は出してないのに殺されるけど、殺される前に無駄に出さされるという。
卵が先か鶏が先かというコロンブス。
もしかして、それで行くのかぷーさん、それなら俄然猛烈に評価するぞと思ったら、
完全に見た目が乳要員が水着で襲われ、出すやろな・・・出すやろな・・・
出さんのかい!!!!
でこの映画はもう終わっていた気はする。
信念が無い。
乳を出すにも信念がいる。
ホラーにおいて、主人公ってのは様式美的には潔癖なんだよね。
でもそれは人間性という意味ではファンタジー。
ホラーの主人公の存在ってのは、基本的には人間的な部分から乖離していく。
その中で乳要員ってのは劇中のキャラクタも人間的で、
尚且つ、映画の状況として、乳を出す人間と乳を出さない人間とでキャスティングで区別されるわけやんか。
出さない側ってのは、特に自分のキャスティングに何も思う事は無い。
出す側ってのは多分、その一部分だけでなく、人生の中で紆余曲折あって、そこに踏み込む理由があって、決断したんだろうと思うんよね。
最近、映画で乳要員がほとんど見なくなって、ポリコレの影響か、
なんやろなぁ、人間性が喪失して行ってる気がするよなぁ。ホラーから。
・・・
・・・
・・・
ん?
ぷーさんどこった?
まぁ、そんな語る程も無い程度のぷーさんの立ち位置でしたね。
やるなら信念をもって真面目にやって欲しい所。