ちゃい

ヒトラーのための虐殺会議のちゃいのレビュー・感想・評価

ヒトラーのための虐殺会議(2022年製作の映画)
3.5
舞台はひとつ、淡々と進む議論。実際は議論とも言えないが。批判的、懐疑的な意見が上がるも、気づくと「みなさんの意見を汲みます」と微笑むハイドリッヒによって次の議題へと進んでいる。
- ユダヤ人は「運命的」に「処理」する必要があるということが、疑う余地のない最低限の前提として共有されているショック
- 「そこは疑う余地がないのだ、議題にだすな!」と動揺する人がいたり、情がうつらないようにガス室を取り入れようとする意見。そこから、彼らにも一個人とその生活を想像することは可能であると分かる。だから余計に、なんで?と思う。
- なにが、彼らを「ユダヤ人は撲滅する必要がある」とまで思わせたのか。
- 邦題の副題、「撲滅」でなく「絶滅政策」となっている。彼らは誰も気づかぬ間に自然と消えた、という歴史を作ろうとした、ということか?

メモ、引用
- ナチスも「情」を恐れていたのだ。(社会新報 石塚とも)
- ゲーテはかつて、「現実を想像できる人間は少ない」と言った。(週刊現代 井筒和幸)
- 視聴者は虐殺決定の立会人となることで、現代の私たちも「殺害を現場で見ない者」のひとりかもしれないという可能性に気づかされる (日独協会機関誌 Die Brucke 架け橋 柳原伸洋)
- 行きすぎた自粛は表現規制に繋がりかねない。(フィギュア王 12/27)
- 言い換えやおためごかしは今なお日々目にするところであり、その意味でこの作品にしっかり「現代性」が備わってしまっていることは皮肉でもあり悲劇でもある。ーー死者たちは過去から厳しい目を現在に向けているのである。(週刊プレイボーイ 高橋ヨシキ)
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