『Aftersun』
父と娘の夏物語。
20年前のビデオテープによって明かされる父親の真の姿、向き直す自身の記憶。
メインビジュアルの色合い、舞台である初夏のリゾート、A24のキーワード。
予告編をチェックするまでもなく、全てが公開初日に映画館で観ることを必然にした。
リゾート地に着いてすぐのシーン。
ホテルの部屋で娘のソフィが寝る。
音楽はいつの間にか止まり、彼女の寝息だけが響き渡る。
暗闇に揺れる父の背中。
しかもこれが一瞬ではなく、ある程度の時間続く。
ああ、息遣いだけで親子の関係性を表現しようとしているのか。
この瞬間、自分は監督を、Charlotte Wellsを信頼した。
実験的で、同時にセンス抜群のカットの連続。
自分は観客を信頼してくれているのがガンガン伝わってくる映画が大好きなんだ。
画質の悪いビデオカメラの映像は多くを語っている。
手ブレは父の心の揺れ動きで。
ノイズは突然訪れ、自身を満たしてしまう闇。
あえて対象そのものを映し出すことを避けたのは、そこに隠したかった本心があったからかもしれない。
“撮影は止めても
私の心の小さなカメラに残すから”
ソフィの眼差しと、スクリーンに向ける自分の視線が重なった瞬間に気付く。
自分が求めていたのは解像度の高い映像ではなく、こんな心象風景だったのだ、と。
波のように押し寄せる激情があれば、人がいなくなった後のプールに浮かぶような捉えがたい機微もある。
どちらを重視したわけでも、どちらに焦点を絞ったわけでもない。
記録と記憶。
この交錯の中でしか浮かび上がらないひとりの人間の真実があるのだ、と映画はそっと語りかけてくる。
あの夏の青さが。
太陽に照らされた肌の感触が。
見上げることしかできなかった父の表情が。
レンズに溶けた後ろ姿が。
いつまでも心のフィルムに焼き付いている。