なんと説明の(情報の)少ない映画だろう。それだけに、数々の意味深なシーンやセリフがジワジワと、まさに日焼けの痛みのように後から効いてくる。
11歳の誕生日を迎えたばかりの少女ソフィと、まもなく31歳になろうとしている父カラムの二人が、夏休みをトルコのリゾート地で過ごす。ただそれだけのストーリーだが、実は20年後のソフィがその思い出を回想しているという作りが判ると切なさが募る。
この「11歳の少女」という設定がなんとも絶妙なのだ。子供でもなく、当然大人でもない。おませな気持ちはあるものの、大人の世界に入っていくにはまだあまりに無邪気で無防備だ。彼女の無邪気さが、悩める父の心に傷を負わせたり日焼けを起こしたりするわけだ。
父は母と離婚していると思われるが、その理由は明らかにされていない。娘の年齢からすると、20歳そこそこで結婚したんだろう。そしてもしかすると、彼はゲイなのかもしれない。(これも劇中明らかにされるわけではないが、所々意味深な要素が置かれている。)
そうでもないと、彼があんなに苦悩し、一人背中で嗚咽している理由が分からないのだ。
彼がスコットランド出身だというのもなんだか象徴的だ。娘ソフィに「スコットランドには戻らないの?」と訊ねられ、「戻らない。太陽が少ないから。」みたいな会話があるが、生まれ育った風土の日照時間というのは「心の健康」に少なからず影響するんじゃないかと思う。カラムはさらに「一度故郷を出てしまうと、そこにはもう自分の居場所は無くなる。」とも言っていた。これもなんだかゲイあるあるのような気がしてならない。
「もっとずっとここに居ようよ。」と言うソフィ。「そうもいかない」といった様子の父。ひと夏のバカンスが楽しければ楽しいほど、別れが切ない。あのラストで、ビデオカメラの撮影を停止し、扉の向こうに消えていった後、カラムは死んでしまったのだろうか?これもはっきりとは描かれていないのだが、おそらくそうなんだろう。20年後、当時の父親と同じ年齢になったソフィはそのことを噛みしめ、父の遺したトルコ絨毯を見つめるのだった。