ジャン黒糖

aftersun/アフターサンのジャン黒糖のレビュー・感想・評価

aftersun/アフターサン(2022年製作の映画)
4.4
自分は"記憶"にまつわるドラマに感情を揺さぶられてしまうことが多い。
2021年はフローリアン・ゼレール監督の『ファーザー』で、アンソニー・ホプキンス演じる認知症が進行する父から見た、かつての記憶に沁み込んでいる筈の日常が歪み出す描写にやられ、2022年は松居大吾監督の『ちょっと思い出しただけ』で描かれる6年間の同じ日の記憶をちょっと思い出す時間の不可逆性と均質さに悶絶した。

そして2023年に観た、私的記憶にまつわる映画大賞(?)は本作でした!笑

映画内で描かれる記憶のなかの描写と、映画には描かれない観客自身で補う映画の余白によって、父カラムにはどんな苦悩があったのか、そのときソフィはどう感じていたのか、を観客自身の見方によって補わせる。
これは確かに凄い1本だった。

初見時、何も情報を入れずに観た自分は、冒頭の父カラムと娘ソフィのビデオ映像が一時停止した瞬間、カラムの後ろの背景にある空に映り込んだ人影を観て、「あれ、これ編集ミス?それともウチんちのプロジェクターに心霊映像映っちゃった…?」と鈍感にもホドがある勘違いをしてしまった笑

ただ、話が進むにつれ、現代パートが唐突に描かれた瞬間、全てが繋がった。
この映画は4つのパートが描かれているのだと。

①娘ソフィが再生する父娘のビデオ映像
②ビデオに映り込んでいた父娘の旅自体の回想
③ソフィの現在
④◯◯の◯◯と◯◯の◯◯がクロスするクラブ

このなかで、決定的な"事実"として描かれているのは文字通り"記録"された①だけ。
あとはそのある人物から見た"記憶"の断片と現在から振り返っての本人の意思が介入した"そういうことだったのかもしれない"という想像の話かもしれない。
そんな、"記憶"の曖昧さを"記録"と共に補正するような本作は、多分にして観客に想像させる。


お父さんカラムは、あの当時の娘にとっては一緒に過ごして楽しい、優しいお父さんだった。
でも時折お父さんがいなくなるときがあり、そのことが当時のソフィを不安にさせた。
旅先で一緒にゲームをした男の子と遊ぶ時間がちょっと楽しかった。
年上カップルたちのいちゃつきは見てはいけないかもしれないけど、見ずにはいられない興味がそそられた。

カラオケの場面、痛々しいけれど健気にREMを歌うソフィの姿、良かった…。

あの頃過ごした父の年齢に近づいたいま振り返ることで「ひょっとしたらこうだったかもしれない」と父の痛みが想像できるような年齢にソフィ自身がなった。
あのとき、ホテルで横になっている父の背中の意味。
高級なペルシャ絨毯を買おうか悩む父。
当時のソフィから見た視点、だとしたらありえない夜の海に向かう父の姿。

これら場面はソフィが目撃した・体験した事実そのままではないかもしれない。
2人が遠距離バスから降りた場所で画面の角に映る街の看板には「we know the perfect place」の文字。
我々観客が観ている回想は全てが、現在のソフィから見た想像の世界の可能性だってある。


ここで面白いと思ったのが2人の設定。
カラムにとってソフィとの旅は何かしら人生最後、という意味合いが強い。だが、ソフィの前では優しい父であろうと居続ける。
一方のソフィにとっては大人になる一歩手前、幼少と呼ばれるのはもう最後の年齢、11歳。父に純粋な気持ちから甘えたい気持ちもまだある。
お互いがお互いを求めるには11歳というのが絶妙だと思った。

もう1〜2年経てばより異性に興味が湧くし、3〜4年経てば親より友達との時間の方が大事な思春期となる。
父と娘の、純粋に楽しいと思うにはギリギリ最後かもしれない11歳という設定が絶妙だと思った。

娘ソフィ役を演じたフランキー・コリオ、演技未経験とは思えないほど自然と11歳のピュアな子に見えて良かった。
父カラムを演じたポール・メスカル、これでアカデミー賞ノミネートされたというのは少し驚きだけど、娘の前では良きパパであろうとする、けど自身に対し葛藤する若くして父となった男の痛みが切なく映る。出演作が次々決まっていて楽しみな役者さんだ。

そしてシャーロット・ウェルズ。
映画で描かれる外の世界に観客の感情を委ねる、決して説明しない余白の描写が上手だなと思った。
これからも多作に作られる監督、とは思わないけど、今後も新作が楽しみな監督だと思った。
ちょっと忘れられない一本というか、唸らされました。最高!
ジャン黒糖

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