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時雨の記のニューランドのレビュー・感想・評価

時雨の記(1998年製作の映画)
2.6
嘗ての澤井なら、役者にいくらテクニック・表現力がなくとも、(リヴェットが普通に観られるようになってからは切り口の観点の古めかしさが益々きわだってきた『Wの悲劇』のシナリオの引き寄せ方のように、)役者への添い方・同調の仕方が尋常ではなく、名人のカメラの暴走気味にも、逆に作品に血を通わす手段としていた。
しかし、いつの頃からか名匠然とするようになって、役者と語り口の相互を独立させて、立てるようになると、活きた人間・世界は消えてしまい、尤もらしいかたちだけが残るようになった。渡、吉永がいくら木偶人形でも、もっと視角・切り込み方があるのでは? 似せるも可能だったのに、ドライヤーの遺作との隔たりはあまりに大きい。
ストーリー的には賛同できるのだが、名作然としたとりすまし方は何だろう。個人的には、この内容だと、林隆三と佐藤友美の主演の方で見たかった気もする、本音を言えばもっと見映えのしない地味な俳優さんがうちからの輝きをみせてくるようなのを、ちょっとこれは・・・のキャスティングのほうがへんにスリリングな何かが生まれて来たのでは?と思う。『野菊~』然り『W~』も『早春~』だって『~時刻』『めぞん~』も(今まで観るをためらってて、これと共に今回初めて観た)『ラブ~』ですらもそうだ(上部のGoサイン出ないだろうし、本人も横綱相撲のほうへ転じてくのが当然と思ってるだろうことはわかるが、渡の苦しみかたは人斬り五郎みたいだし、吉永の思案顔も、以前の市川崑期の役柄をまるで払拭してないように見える)。
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