耶馬英彦

あしたの少女の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

あしたの少女(2022年製作の映画)
4.0
 驚いた。もし本作品の状況が韓国の現状だとすると、韓国社会に蔓延しているパラダイムは全体主義である。戦前の日本とほぼ同じだ。全体主義とは、簡単に言えば全体(共同体、組織)のためなら個人の人権を犠牲にしても構わないという考え方である。そのままでは身も蓋もないから、得てしてお国のためにだの、日の丸を背負ってだの、オブラートに包まれた表現をされる。

 本作品ではそういった言い方は生ぬるいという製作側の姿勢が明確で、登場人物は本音を正直に、声高に主張する。内容は全体主義と保身と責任逃れだ。国の名誉、組織の名誉を傷つけたという非難が未だに成立する社会だから、個人が追い詰められる。民主主義社会では、個人の人権が蹂躙された、個人の尊厳が傷つけられたということで非難されるはずだ。逆に言えば個人の人権と尊厳を守るのが民主主義なのだ。だから日本国憲法第13条に「すべて国民は、個人として尊重される」と書かれてある。

 しかしよく考えてみると、日本では表現はオブラートに包まれているものの、全体のために尽くさなければならないというパラダイムは根強く存在するし、そのパラダイムを根拠にして他人を非難する事例は、国中に溢れかえっている。日本も本質的には韓国と同じように全体主義の精神性が支配的なのだ。自己を滅して全体のために努力しろという同調圧力は、家庭内まで入り込んでいる。悪い言い方をすれば、全体主義に蝕まれているのだ。

 全体主義の社会はヒエラルキーの社会である。上下関係が厳しい体育会系の社会である。上の者に従っていれば褒美がもらえる。逆らうと厳しい罰が待っている。上の者は下の者を評価してランキングし、生産性を挙げるために競争させる。理不尽が上から下に次々に押し付けられるのだ。
 下位の人間は強いストレスに晒される。ストレスを解消するためには、自分よりも弱い人間に当たるか、犯罪を犯すか、匿名で他人を非難するか、あるいは自殺するしかない。WHOの発表では韓国の自殺率は、リトアニアに次いで世界第2位である。女性に限ると第1位だ。韓国女性の立場の弱さは、映画「82年生まれ、キム・ジヨン」で印象的に描かれていた。SNSの匿名での非難が集中した有名人の自殺は、韓国でも日本でも報道されている。

 観ていて苦しい作品だが、ペ・ドゥナの好演もあって、スクリーンから目が離せない。タイトルの通り、こういうことが世界中で起きていることに思いを馳せる。
 日本の電通女子社員の自殺、木村花の自殺は、それぞれ過労死、SNSの炎上として別々のカテゴリーみたいに扱われているが、全体主義のパラダイムが蔓延した社会という共通項を考えれば、原因は同じである。社会が彼女たちを自殺に追いやったのだ。弱い立場の人間を自殺に追い込む社会である。そういう社会が世界で増加していることにぞっとする。
耶馬英彦

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