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イヴの総てのTのネタバレレビュー・内容・結末

イヴの総て(1950年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

題名でも序盤でも「イヴの総て」と言われる。メディアやステージには出ない、「イヴの真の姿」としての「イヴの総て」。
ところが中盤までイヴは「真の姿」を出さない。今日ではサイコパス的と言われる立ち振る舞いだからだ。延々に自己利益の為に嘘を吐き人を支配したがる。イヴはマーゴと異なり、舞台の外でも芝居をし続ける。そうする内に、マーゴが感情的な成長……自己受容、隣人受容をし、舞台の主役を降り、イヴとマーゴの悶着は一件落着となる。
そのあとはイヴの種明かしである。批評家に弱味を握られ動揺する姿からは、"恐ろしく強靭なサイコパス"の面持ちは無い。脅され動揺してしまったからか、名声を積むには行くべきであるパーティにも赴かない。そしたらイヴ2号のような女性が来襲し、映画は終わる。「イヴのような成り上がりを目論む若者はショウビズ界には無限に居る」という産業構造自体への皮肉をテーマとしたオチだ。
しかし、私はこの物語から人間、そして偉大なる役者の強さを感じずにはいられない。その感慨をもたらすのはマーゴである。何故なら、ラスト時点のイヴにしても、マーゴを越す演技は到底無理だと確信できるからだ。イヴのように、巧みな計算でトントン拍子に成功する役者は一定数居るだろう。しかし、名声を確実な物にして40代となったスター俳優に、マーゴのように己の過ちを素直に認め、時に名声確実の役を「今の自分に合わない」として引ける俳優は何人居るだろう? きっとマーゴは物語のあとも演技表現力を上げ続けるだろう。一方でイヴにその気配は感じ辛い。元より二人のキャパシティ、才能自体がケタ違いと感じられる。 イヴとマーゴの最後の会話を見ても、役者、そして人間としての格は歴然なのだ。「倫理無きショウビズ界」で成長し続ける、倫理無き役者たちよりも恐ろしいベテラン女優の姿がここにはある。私は「イヴの総て」……イヴの俳優としてのキャパシティは大方掴めた気になれても、「マーゴの総て」はわからずじまいだった。それこそ偉大なる俳優の証ではないか。作品自体の皮肉なテーマすら超えるマーゴこそ真の主役、舞台で輝き続ける大女優だ。
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