KnightsofOdessa

ナイン・マンスのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

ナイン・マンス(1976年製作の映画)
4.5
祝2000本目!

[ハンガリー、自分らしく生きるための孤独な戦い] 90点

大傑作。メーサーロシュ・マールタ長編六作目、初カラー作品。メーサーロシュ・マールタ特集上映配給のライトフィルム様よりご厚意で試写を観せていただく。後に結婚し、2004年の『The Unburied Man』までの殆どの作品に主演クラスで参加することになるポーランドの俳優ヤン・ノヴィツキとの初コラボ作品。同じく、この後も多くの作品に出演することになるモノリ・リリも本作品で初登場となる。本作品は主人公ユリが工場に働きに来たところで幕を開ける。応対した上司ヤーノシュは一瞬で恋に落ちて猛アタックするが、ユリは迷惑そうだ。なんと出会って二日目で結婚指輪まで渡してくるので、最早そういうやばい風習のある村なのかと錯覚してしまうレベルの恐怖を感じる。彼はその後もずっとそんな感じの人だ。ユリのことを想っていながら、自分の思い通りに従わせるために、子供のように不満や怒りを身体で表現する癖がある。この幼稚な暴力性が、いつかユリを殺してしまうのではないか、と心底怯えながら観ていた。なんとかして家に縛り付けようと、自分が優位に立とうとするヤーノシュに対して、ユリも自分の考えをストレートに伝えているのだが、全く通らない。関係が発展しても、ヤーノシュはユリの良き理解者となり得ず、彼女はずっと孤独な状態にある。

ユリは、既婚大学教授との間に子供ピシュティがいることを隠していた。女性側が事情を隠して男と付き合うという物語は長編四作目『Riddance』でも登場していたが、同作における"隠蔽"は人間関係を成立させるために登場するのに対して、本作品における"隠蔽"は人間関係を破壊しないために登場する。そして、本作品において、人間関係というのは常に成立しており、その上で内側からぶつかり合う必要があるとしている。それによって、ユリは常に疲弊した状態におかれることになる。自分のために、ピシュティのために戦い続ける彼女は、一人で嗚咽できる場所を探し、それを誰にも見られずに片付けた上で、再び世界に戻っていく。

役者再登場の好きなメーサーロシュは、今回は前作『アダプション』の主演二人を再登場させている。ヴィーグ・ジェンジェヴェールはユリの同僚役、ベレク・カタリンはユリの母親役でそれぞれ出演。彼女の映画はある種同じ世界線の上で構築されているのかもしれない、と思うなど。

追記
日本語版プレスは、あの計り知れないパワーを持ったラストシーンについて、"フィクションとドキュメンタリーの境界が崩れるような"と形容している。正しく我々の世界と映画の世界が交錯するような、魔的空間になっていたと思う。ちなみに、カトリーヌ・ブレイヤ『ロマンスX』のラストも全く同じらしい。確認してないので意味まで似るかは分からないが。
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