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愛と哀しみのボレロのtakのレビュー・感想・評価

愛と哀しみのボレロ(1981年製作の映画)
5.0
この映画を初めて観たのは中学3年の冬。映画雑誌を毎月買い始めて、興味のベクトルが多方面に無節操に広がっていた頃だった。欧州映画にも興味津々。ハリウッド製ヒット作ばかりが映画じゃねぇだろ、と映画雑誌を眺めながら思っていたマセガキ。されど地方都市の映画館でヨーロッパ映画が上映される機会は少なくて。そんな時期に地元の映画館で「愛と哀しみのボレロ」上映の報が。マセガキは前売券を地元デパートのプレイガイドで購入し、公開日を楽しみに待ったのだ。

この映画を観たことで、映画を通じた視野が一気に広がった。映画を芸術として初めて意識する経験だったとも思う。知ってる出演者はジェームズ・カーンくらい。でも初めて観る欧米各国の役者たちの熱のこもった演技に感動した。ホロコーストの嵐が当時のヨーロッパをいかに揺さぶったのかを知るきっかけになった。華麗な音楽。ジョルジュ・ドンのバレエ。胸が苦しくなり、音楽でワクワクし、クライマックスのボレロでなんかすごいものを観たぞ、と高揚感でいっぱいになった。残念だったのは、当時まだ地元映画館にはドルビーステレオの音響設備がなく、「愛と哀しみのボレロ」終了後、「レイダース 失われた聖柩」で初登場したこと。

マセガキ少年はその年から、アカデミー賞の真似をして年間ベストを選出するようになる。第1回の監督賞は本作でクロード・ルルーシュ!なんて生意気な俺。

それからウン十年経った2024年3月、「午前十時の映画祭」で久々の鑑賞。14歳の頃と同じく感激したけれど、マセガキ時代とは違って、いろんなものを吸収しているから、映画の良さにいろいろ理由づけができる。出演者の他の作品を観ているのは当然だけど、その経験値以上に、少年だった自分が"違いが分かる"おっさんになってることを、認識することになったのだ(笑)。

例えば、ボレロを踊ったジョルジュ・ドンについて。後に興味がわいて振付のモーリス・ベジャールのドキュメンタリー映画も観た。あの振付の裏側を知り、ジョルジュ・ドンの踊りがいかに全身を酷使しているものなのかを知った。今回改めて観て気づいたのは、腹筋でリズムをとっていること。拍の頭でお腹が大きく凹んでるから、全身の動きが大きくなる。あの頃じゃ気づかなかった。さらに、空中で足先が交差するアントルシャ。これをスローで捉えた映像には惚れ惚れする。

もともとフランシス・レイが好きだったから、ミシェル・ルグランとタッグを組んだ本作には14歳で観た時も音楽に感動した。ウン十年後の僕は、ジャズミュージシャンとしてのミシェル・ルグラン作品が好き。CDも何枚か購入して、アレンジや演奏の凄さを思い知った。メロディはレイ、アレンジはルグランが手がけているようだ。同じ楽曲がアレンジ違いで繰り返し奏でられる。その使い分けの見事なこと。戦時中は歌詞がなかった「サラのセレナーデ」が、物語の進行と共にアレンジが変わる。ドイツの占領下となった前後で、パリで奏でられる音楽はガラリと装いを変える。アレンジで時代の変化、演奏する側の変化を表現している。

登場人物はとにかく多いし、同じ役者が二代、三代演じるから、ボーっと見てると混乱しそうな映画ではある。14歳のオレ、理解してただろうな?w。でも、その複雑さを感じさせないのは、ルルーシュ監督の映像によるスマートな進行にある。帰還した音楽家の家がパーティで盛り上がるのと対照的に、窓越しに向かいの家で訃報が伝えられる場面。カットは変わらないし、ズームしてるだけ。上手いよなぁ。

改めて観ると、リシャール・ボーランジェやジャック・ヴィルレなど、ウン十年の間に好きになった映画に出演した面々の若い頃も見られる。初めて観た時もエブリーヌ・ブイックスに惚れたのだけど(マセガキw)、やっぱりお綺麗。彼女も二世代を熱演している。

映画の良さはもちろん、自分があの頃とは観る目が変わっていることを改めて思い知る映画鑑賞でした。観ることは糧になってる。それは実感。

鑑賞記録は初回を記す。
午前十時の映画祭は2024年3月。ユナイテッドシネマなかま16にて。
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